仏人気作家ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)氏は独週刊誌シュピーゲル(6月18日号)とのインタビューの中で、「教会は現世での人道支援問題より、人間の内性、永遠性などの問題にもっと積極的に関わるべきだ」という趣旨の内容を語っていた。
同氏は昨年1月のパリのテロ事件直後に発表された小説『服従』で大きな話題を呼んだ作家だ。2022年の仏大統領選でイスラム系政党から出馬した大統領候補者が対立候補の極右政党「国民戦線」マリーヌ・ル・ペン氏を破って当選するという近未来ストーリーだ。
同氏は別のインタビューの中で、「自分はもはやキリスト信者ではない」と告白しているが、「宗教なき社会は生存力がない。自分は墓地に足を運ぶ度、われわれ社会の無神論主義にやりきれない思いが湧き、耐えられなくなる」と率直に述べている。
そのウエルベック氏が、「教会は現社会の人道問題に関わるが、人間の内的な世界、永遠問題などについてもっと語るべきではないか」と問題提示しているのだ。この発言は、受け取り方次第ではローマ法王フランシスコへの厳しい批判と受け止めることが出来るのだ。
フランシスコ法王は北アフリカ・中東から殺到する難民が収容されているイタリアのランペドゥーザ島を訪れ、難民たちを激励するだけではなく、難民を引き受けるなど人道活動を率先し、同時に世界の指導者に向かっては、「我々のボートはまだ一杯ではない」とアピールし、現資本主義社会の行き過ぎた利益優先政策、「貧富の格差」問題をも厳しく批判している。
南米出身のローマ法王は就任以来、典礼や教義より、信者たちの現実生活を重視し、それに理解を示し、教会内外で人気は高い。すなわち、教会の在り方への批判的な言動と難民支援などの慈善活動がフランシスコ法王の人気を支えてきたのだ。
しかし、世界12億人以上の信者を抱えるローマ・カトリック教会の最高指導者、ローマ法王は決して慈善団体のリーダーではない。「宗教指導者の本来の分野は人権活動ではなく人間の内的、永遠問題ではないか」というのがウエルベック氏の指摘ではないか。
イエスの愛を説くカトリック教会が人道支援に乗り出し、慈善活動に力を入れること自体は称賛されることだ。愛の実践だ。空言の繰り返しではない。しかし、教会の本来の使命は信者が抱える内的問題、死後の問題などへの牧会だ。教会は単なる非政府機関(NGO)の人道慈善団体ではない。特に、宗教指導者は人道活動家ではなく、信者の永遠の命に関する牧会者でなければならないからだ。
それでは、なぜウエルベック氏はそのように発言したのだろうか。教会が人道支援に専心する一方、無神論者の左翼人道支援グループも難民救済に積極的に関与している。人道支援は同じだが、一方は「神の名で」、他方は「人道主義」の名で行う。支援を受ける側にとってはそんな差はどうでもいいことだが、カトリック教会にとって、その「差」は存在の意義に関わる問題だという警告が含まれているのではないか。
ひょっとしたら、教会は、信者たちを説得できるだけの確信と霊性を失ってしまった結果、人道慈善活動にその存続の価値を見出してきたのではないだろうか。そう考えれば、宗教指導者が人権活動家になったとしても驚くべきことではないわけだ。
ちなみに、フランシスコ法王がローマ法王に就任した直後、「南米出身の法王は解放神学者ではないか」といった議論が教会内でも飛び出したことがあったことを付け加えておく。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年6月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。写真はWikipediaより。