私が学童だった頃、学友はほとんどが戸建てから通っていました。私もそのひとりです。かつてのアパートは正直、あまり評判がよくなかったイメージもあります。「団地」の響きも決して心地よいものではなく、高度成長期の産物でありました。
その後、私は20代半ばに分譲マンションを一つ、購入しました。中古で価格だけが取り柄だった物件です。今考えてみても後悔だらけの物件だったと思いますが、その理由の一つに大型マンションの構造的理由から間取りの応用がほとんど効かない点であります。柱のスパンの間に収まる間取りは窓が二つ。一つはリビングに、一つはベッドルームにつながるその間取りの自由度はほぼないに等しくなってしまいます。
先日、浦安からバスに乗り、海際の公園まで行ったのですが、久々に来た浦安がここまで「進化」しているとは思いませんでした。巨大なマンション群にバスには多くの乗客。その顔ぶれは子供と若いファミリーが多く、日中、都内を走る高齢者専用バスと化した状態とは明らかな違いを感じます。
が、行けども行けどもマンションばかりのこの街にぬくもりが一つも感じられないのは広大な埋め立て地に人造的にマンションと大型スーパーを配した機械的な造りがそう感じさせるのでしょう。街を歩いている人が少ないし、道沿いのリテールは大型店や名の知れた店などが大きな駐車場を抱えた形で配置されており、人間といえば交通整理のおじさんだけが忙しそうにしている、そんなイメージです。
某リテールバンクの支店長と駄話をしていた際、「お宅の銀行も不動産貸付銀行そのものだよね」とつい本音が出てしまいましたが、返ってきた言葉が「それでもタワマンなどは最近、あまり融資の気が進まないんですよ」と。理由は担保となる土地の比率が少なすぎて長い目で見て有望ではない気がするとのことであります。これがこの支店長さんの個人の意見なのか、銀行全体の姿勢なのかはわかりませんが、このスタンスの意味するところは大きいと思います。
ブルームバーグに不動産事業者向け融資の期間に50年物が現れたとあります。地銀に貸し手がなく、このような超長期ローンを提供しているようですが、現実問題として50年後の世界を誰が予想できるのでしょうか?不動産に携わっている人間として不動産が時とともに姿、形を変えていくものだという認識があれば超長期ローンは本来、不健全であることは一目瞭然であります。とはいえ、地銀は稼ぎどころの国債が機能しなくなっているため、こんな低金利下においてほんの僅かの利益を得るためにバランスの悪いリスクを抱えているということになります。金融庁はこの事実を放置してよいのでしょうか?
個人向け不動産融資を考えると私がその担当なら戸建て重視です。理由はマンションは減価こそすれど価値が上がる仕組みはあまりないからであります。もちろん、港区や千代田区の一部のマンションは上がっていますが、それは例外的物件で多くのファミリー層が購入する浦安のような郊外型集合住宅は100%下がります。
仮に新築時に25年ローンを組んだ人がその途中でローン返済ができなくなった際、物件を中古で売却するには中古物件の融資に償却期間40年の枠に引っかかることになり、骨が折れることになるでしょう。マンションは土地部分の比率が極めて少なく、特にタワマンの場合はもっと少ないため、減価こそすれど土地の価値が仮に上がってもそれがマンション価格に反映されることはまずないと考えてよいのです。
それならば、戸建てのほうは健全です。仮に25年ローンを付けた場合、上物は22年程度で価値がなくなりますが、土地は全部価値が残ります。都心部では土地代が建物代の3倍程度になっていることも多く、ある程度年月が経てば、上物がなくても担保価値ははるかに高いものが残るのです。
では個人が進めるアパート経営ですが、これは厳しくなると思います。相続税対策と称し、業者主導でアパートが建ちすぎている状況ですが、入居者となるべく潜在需要が供給とマッチしない状態です。つまり、新築のころはよいけれどしばらくたつと陳腐化して市場に勝てない事態が生じるのです。本来であれば不動産市場健全化のためには供給を絞り込まねばならないのですが、住宅業者が目先の利益を追いすぎて長期安定市場を壊しているともいえるのです。そのうえ、国交省は絶対に口を出しません。理由は業者と「持ちつ持たれつ」の関係が確立しているからです。実に困ったものであります。
個人的には日本の不動産は一部の商業物件を除き、長期的にはネガティブだと考えています。高級住宅街も相続税対策で売却した一団の土地を細かく分譲してしまう業者の手法に街の景観無視という点でセンスもなにもあったものではないと感じております。
では今日はこのぐらいで。
岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 7月21日付より