インターネット的ではない「あるべき論」

クラウドファンディングとはこうあるべき、起業とはこうあるべき、なんて「あるべき論」が、その手段の可能性を狭めるというのは、歴史を見ても明らかなんだよな。高尚なものに仕立てたいのかも知れないが、それでは一部の人しか恩恵を受けられないものになってしまう、それはインターネット的では無い。

良い結果になろうが悪い結果になろうが、すべての手続きを民主化するのがインターネットだと僕は信じているので、たとえそのクラウドファンディングのプロジェクトが「私利私欲に塗れた行為」なのだとしても、それは結局のところ支援は集まらないでしょう。もし集まるのだとすれば、そこになにかお互いの気持ちを満たす、バランスみたいなものがあるということだろう。

私利私欲に塗れているか否かを自分には判断できる、と思い込むこと自体が、おこがましく、かつ浅はかであると、僕は感じます。

あなたの書いているそのアフィリエイトブログも、「ウェブログとはこうあるべきだー!」なんて先人たちの理想と思惑を越えたところに存在しているのですよ。

こういう話の時にいつも思うのは法然と親鸞の偉大さであり、仏教とインターネットの歴史の相似性であるよ(語ると長くなる)


編集部より;このエントリーは起業家、家入一真氏のFacebook 2016年7月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。