リオのオリンピックがいよいよ2日後に迫ってきましたが、今ひとつわからないのが現地の情報。断片的に危ない、被害があったといった危険性を報じるものはありますが、包括的に今、ブラジルはいったいどうなっているのか、オリンピックは安全に開催運営できるのか、など疑問だらけであります。リオ州に至っては財政危機宣言で連邦政府への支援を要請したばかりです。
オリンピックのもともとの発想はスポーツを通じて発展途上にある国家、ないし都市の再生を行い、経済活性化につなげるということでした。64年の東京にしろ、88年のソウルにしろ確かにその目的に沿っていました。ところが、近年のオリンピックは開催国や地域財政に多額の費用負担が生じる上に収支で見ると「儲かる」ことなどほとんどありません。また、予算は当初の何倍にも膨らむのが常であり、ロンドンはよい例でした。2020年の東京はいったいいくらかかるのかそれこそ小池都知事が改めて紐を解いていくのでしょう。
ではブラジル。オリンピックの所定の目的からすればブラジル経済が活性化し、治安の悪いリオが改善することを期待していたはずです。ところが、ブラジルには様々な不幸が重なりました。一つは経済構造が資源輸出型の域を出ないまま不況に突入してしまったことがあげられます。
鉄鉱石の中国向け輸出はブラジルにとって降ってわいたような景気をもたらしました。2004年から11年にかけてその輸出量は3倍近くまで膨れ上がります。ところが中国の「腹一杯」現象でブラジルの景気は一気に萎みます。GDPは2010年をピークに下落トレンドとなり、2015年はマイナス3.8%で2016年も同水準になるとみられています。
リオ州に至っては海底油田地域としても知られ、その権利から生まれる資金が運営上重要でありましたが、今、それを期待するのが無理というものであります。
第二の問題は汚職であります。2003年に就任した左派のルラ大統領は2011年までブラジルが近年で最も輝いていた時期に君臨していました。その間、同国の代表的企業であるブラジル石油公社ペトロブラスから賄賂を貰っていたとされます。一方、自身が大統領時代に官房長官を務めたルセフ氏がその後の大統領に就任しますが、そのルセフ氏は施策が悪く、国民からそっぽを向かれ挙句の果てに弾劾裁判で停職となっています。ブラジルの問題はトップのみならず、閣僚を含め、次々と汚職問題が発覚し続ける点であります。
結局、同国は資源や農産物といった天や地からの授かりものに頼り続け、その利権をくすねる上部の人間とそれがかなわない貧困層が力づくでモノを強奪するという本質的には似たような体質が改善できない国家ともいえるでしょう。多くの日本人がブラジルに移民し、土地を開拓し、農業を興してきたわけですが、当時、努力する、粘り強く頑張るという言葉を知らないブラジル人にとって日本人の働きぶりは驚愕であったと察します。
ブラジルサッカーはそんな中で頑張ればヒーローになれる数少ない道でありました。アメリカならさしずめブロードウェイのステージに立つ、といった具合でしょう。それゆえ大きな試合で負ければ命を狙われるとまで言われるわけです。それは国民の期待を一手に背負う一方、情熱的な国民性が更にエキストリームな状況を作り出しやすいといえましょう。
リオでオリンピックを開催するのが正しかったのか、これを今改めて考えると違ったような気もします。資源価格の下落という不幸があったことは事実ですが、オリンピック開催で本来重視すべく財政が不健全になり経済が廻らなくなっています。また、以前にも指摘したようにスポーツは競技ごとに国際大会や世界大会と称してオリンピックに準じるようなイベントが年中開催されています。つまり、オリンピック開催に大金をかけて世論を巻き込んで賛否のバトルをする意味合いが薄れてきていないでしょうか?
オリンピックは4年に一度やるのが当たり前という風潮でした。今では冬季オリンピックには手を挙げる都市がほとんどない状態なのです。夏のオリンピックも今後は開催への逆風が強まるでしょう。
リオのオリンピックは本来であれば街を紹介し、人々の声を聞かせ、オリンピックが地域経済にどれだけ貢献したかこれを報じるべきです。IOCはそれを避けてやしないでしょうか?オリンピックという祭典はスポーツだけに焦点を当てるものではない時代に入ったとも言えそうです。
では今日はこのぐらいで。
岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 8月3日付より