彦根藩が官軍に属して近藤勇を逮捕した意外

八幡 和郎

来年のNHK大河ドラマは女武将「井伊直虎」だ。「女義経」ともいうべき小池百合子知事が大活躍した日本の七月だが、蓮舫も民進党の代表になりそうで、勇ましい女性がブームになるかも知れない。秋に本を刊行しますので現在、執筆中。

 「花の生涯」の井伊直弼は有名だが、井伊家のことはそれほど知られていない。格式からいうと、御三家、と前田家のあとは、井伊と高松松平、島津、伊達。三河以来でもない井伊家がどうして譜代筆頭になったのかは謎だが、女武将直虎にその謎を解く鍵があるというようなことでストーリーは展開するのではないだろうか。

ところで、戊辰戦争で彦根藩は幕府方で戦ったと思っている人が多いが、実は王政復古の直後から官軍にすばやく味方して、西郷や岩倉を「実に意外」と驚喜させている。鳥羽伏見の戦いでも官軍の側で戦った。

本来の持ち場である新撰組がこもる伏見奉行所を見下ろす丘の上の陣地は薩摩藩の砲兵隊に譲り、大津で徳島藩などと幕府軍が東から攻めてくることに供え瀬田の唐橋を守った。 近藤勇を逮捕したのも彦根藩だ。江戸開城のあと、千葉県流山にで怪しい軍団を見つけたところ、大久保大和という隊長が大砲三門、銃一一八挺を差し出した。しかし、彦根藩士・渡辺九郎左衛門が大久保が近藤だと見破った。二万石の賞典禄を獲得し、翌一八六九年に藩主直憲は有栖川宮熾仁親王の王女と結婚している。

どうして、彦根藩が幕府に忠義を尽くさなかったか不思議に思う人が多いだろうが、井伊家はもともと遠州の名門で三河以来の家臣でもないし、井伊大老の暗殺という犠牲を払った彦根藩を裏切って減封処分などにしたのは幕府の方で愛想を尽かされただけだ。

しかし、このことは彦根の人も余り知らない。というのは、官軍派だったとか要領が良かった武士は東京に移って官途についたりして、佐幕派だったとか新政府に優遇されなかった武士が多く地元に残ったのも理由だ。実はそういう傾向は各地であって、城下町で佐幕派が多い隠された理由だ。 

御三家や越前が官軍についた理由

そのほかにも、意外にもという藩は多い。御三家や越前の場合には、もともと、彼らは将軍家の家臣でなく対等という意識がある。だから,水戸斉昭は朝廷と幕府が戦うなら朝廷に味方しろと慶喜に教育している。だから,徳川宗家の安泰には尽力するが、自分たちと同じ数十万石の大名で良いという理屈だ。徳島も蜂須賀家はともかく、養子だった藩主は将軍の子だから家来でないと思っていた。

広島、岡山、鳥取、土佐、熊本、福岡、佐賀,加賀といったあたりも、もともと織田・豊臣系か戦国大名の生き残りだから、豊臣から徳川に鞍替えしたのと同じで、忠誠心なんかもともとない。 

寝返りにも賢いタイミングがあるのは自民党都議にもいえる

東北の大名が会津に味方して列藩同盟など組んだのは、情報不足で京都を中心に起きていることについていけなかっただけだと思う。会津や庄内はともかく、仙台、米沢、南部あたりが幕府に忠実である理屈などなかったはずだ。とくに米沢なんぞ、薩摩や長州と組む方が関ヶ原のリベンジになるはずだった。

ただ、あのころ、東北では会津と庄内が最強だったので、刃向かうのは面倒というのはあったと思う。実際、天童藩のように早々と官軍よりの姿勢を示して庄内藩にやられて城下を焼かれ、仕方なく、同盟側で参戦してこんどは官軍に攻められて二度泣いたところもある。

そういう意味では、三春とか新発田のように同盟に味方するようなふりをして、官軍の到着をまって合流したところのほうが賢かった。

都知事選挙でも、自民党の都議などで、隠れ小池派はいるだろうが、はたして、彼らはどこで寝返りを打つのが賢明か迷っているに違いない。

消えた都道府県名の謎 (イースト新書Q)
八幡和郎
イースト・プレス
2016-07-10