※舞台控室にて。左は稲垣、右はイッセー尾形。
来週の8月15日、日本は71回目の終戦記念日を迎える。この時期は、多くのメディアでも戦争関連の特集が組まれるので自ずと考える機会が増えてくる。
今年は、広島に現職の大統領としてはじめて、オバマ大統領が訪問した。これまで、アメリカでは、現職大統領の被爆地訪問はタブーの1つだった。しかし、アメリカのメディアの多くは好意的に報じている。
安倍首相も「オバマ大統領が被爆の実情に触れてその所感を世界に知らせれば、核兵器のない世界を実現するのに大きく役立つだろう」と述べている。戦争を過去の出来事として考えられるようになっている今日、その歴史に真摯に向き合うことは大変意義がある。
エッセイストの稲垣麻由美氏(以下、稲垣)が上梓した『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』(扶桑社)は、結婚して間もない夫を戦争にとられた妻が、戦地の夫に宛てた手紙である。当時の妻の赤裸々な夫への思いがつまびらかに綴られている。
●史実としての価値が高い手紙
通信手段が発達したいまでは考えも及ばないが、「愛する人に気持ちを伝えたい」と思う妻の実直な思いは、読む人の心を揺さぶらずにはいられない。
夫である山田藤栄さんは、1944年にフィリピン・ミンダナオ島に赴任して1152人の部隊を率いていた。しかし、部隊の9割が戦死した激しい戦闘と飢餓のなかで決して手放さなかった物があった。それが妻からの115通の手紙である。なお、藤栄さんは戦後、戦争での体験をほとんど語ることはなく1997年に永眠している。
稲垣がこれらの手紙と出会ったのは2007年のことである。鎌倉在住の渡辺喜久代さんから、「見せたいものがある」と手紙の束を見せられた。手紙は喜久代さんのご母堂、しづゑさんが80年近くも前、戦時下の1937年12月から翌年12月にかけて綴った恋文だった。
稲垣の目に「愛する私のお父様」「恋しいパパ様へ」という言葉が飛び込んできた。「この手紙は次の世代に戦争とは何かを伝えるのに役に立つかしら?」。喜久代さんの言葉が刊行のきっかけになったという。手紙の束を見せられた稲垣は、これらの手紙を世に出さなければならない強い使命を自らに課した。
その後、6年にもおよぶ入念な調査をおこない本書を上梓するにいたる。戦後70年を経て世に出るということは、そこには何らかのメッセージがあると考えることもできるのだろう。また、当時の通信手段や検閲状況などの時代背景についても丹念にまとめられており、史実としての価値も高い。
●戦争を題材にすることの難しさ
本書は、朗読舞台、「逢いたくて・・・」としても好評を博した。16人の俳優が日替わりで登場する。男性陣はイッセー尾形、北村有起哉、劇団EXILEら9人。女性陣は石野真子、奥菜恵、紫吹淳ら7人。作・演出は樫田正剛。テレビドラマの脚本や作詞(EXILE代表曲『道』、三代目J Soul Brothers『風の中、歩き出す』)などがある。
「戦争」は非常に難しいテーマでもある。過去の作品においても評価は割れている。まず思い出すのが井伏鱒二の『黒い雨』(新潮社)である。原爆投下から20年を経た1965年に上梓されて平和な日常と原爆被害の惨状を伝えた。その対比は生々しく、風化を懸念した井伏鱒二が未来に向けて書いたものである。しかし若い人には重すぎて手に取りにくい。
2年前に大ヒットした『永遠の0』(講談社文庫)は一部で「特攻隊を美化している」ともいわれた。しかし著者の百田尚樹は、「当時の航空兵は戦死率が高く、そこで『とにかく生きて帰る』というキャラクターを据えることで『生きる』ことを問えるのではと考えた(2013年12月20日付の日本経済新聞)」としている。
稲垣は、「学生時代から歴史が苦手で難航しました」と苦笑いをする。それでも藤栄さんの軍歴証明書と史実を丹念に照らし合わせ、当時の部下に会いに行くなどして手紙の背景をあきらかにしていった。「一冊を書き上げたことで燃え尽きてしまった。これ以上の作品はできない」とも述べている。
しかし、どこかに同様の歴史的産物が眠っているはずである。おそらく稲垣はそれらの産物とまた出会うことだろう。そして再び日の目を見るのだと確信している。「私が戦争について向き合うことができたように、多くの人が社会や歴史を見つめ直す機会になれば」と穏やかに語る、稲垣の表情には一点の曇りもなかった。
尾藤克之
コラムニスト
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7月26日開催の「第2回著者発掘セミナー」は好評のうちに終了しました。多数のご参加有難うございました。なお、次回以降の関連セミナーは8月末頃に公開する予定です。