出光創業者への違和感

岡本 裕明

昭和シェル石油と経営統合を企てている出光興産が創業者の反対で動きが取れなくなっています。創業者や創業家の反乱の話題はつきません。大塚家具、クックパッド、大戸屋などにみられる創業者や創業家の問題は経営権を巡る争いでよくあるパタンでありますが、出光興産の創業家の場合は経営方針への反乱という点で注目されます。同時に、もはや意地になっている創業家の態度に週刊誌ネタ的な様相と化してきました。

出光は石油卸販売業として日本では大手の一角を占めてきましたが、業界では厳しい経営環境の中、経営統合が次々と進みました。出光の場合は創業家が独特の社風を維持したまま、長く非上場会社として君臨し、半ば、宗教じみた信念のもとで経営が行われていたといってもよいでしょう。

2006年の上場まで出光の七不思議と言われていたものがあります。
定年無し、首切りなし、出勤簿無し、労働組合無し、給与公示がない、社員が残業手当を受け取らない、給与は労働の対価ではない

ぱっと聞いて皆さんはどんな想像をされるでしょうか?パラダイスでしょうか?究極の共産主義でしょうか?近未来の新しい働き方でしょうか?私は出光教だと思います。たった一人の創業者がすべての権力を握り、すべての経営判断を下すということは社員全員を去勢させたのも同然であります。つまり、本来人間が持ち合わせている能力開発を一切せず、共同体の枠組みの中で幸せ感を作り上げる組織体であります。これはこの共同体の中に独特の社会観念と思想を作り上げますのでこの社会にいる限りの於いて社員は幸せを感じるかもしれませんが、一般社会との隔離、断絶感が強く、組織を偏狭なポジションに追いやることになります。

上場に伴いこれらの七不思議は多少改善されたそうですが、それでも社風として残っているものはあるわけでそこが出光の最大の特徴ともいえましょう。

さて、銀行以外のお金は受け入れてはいけないというカリスマ、出光昭介氏が同社の経営の悪化とともに上場を受け入れ、経営改善を行うことでついに折れました。それを機に出光創業家は経営の第一線から降り、大株主として君臨します。上場するという意味は会社はパブリック、つまりその株主には誰でもなれるわけであり、会社運営は一般的に言われる経営というガバナンスのもと、利益の追求にいそしむことになります。

石油製品販売業界の長期的ビジョンは厳しいものがあり、あのサウジアラビアですら太陽光発電に投資し、あのアラムコですら上場準備をするのは石油業界が変わっていかねばならないことを如実に表しています。その中で出光の現経営陣がとった施策は昭和シェルとの経営統合であります。上場会社である以上、社会的存在意義のもと、利潤を上げ、株主に一定の配当を行う一方、従業員を雇い、その家族の生活を守るという重要な役目を負っています。

ところが創業家はここで口出しをします。「昭和シェルとは経営体質が合わない」「弊社はイランの石油、昭和シェルはサウジの石油、だから不都合」というわけです。創業家の理念や信念を大株主という武器を使い、振り回しているともいえましょう。

残念ながら大株主の発言権は当然大きく、仕組みとして無視できないものがあります。が、創業家は2006年の上場を機に経営の第一線から手を引いたのですから現経営陣にその運営は任せるべきでしょう。まして旧態の出光商店の理念を振り回すのは現代会社経営の流れから反しています。

もしも出光創業家がそこまで本経営統合に反対するのなら創業家が買収して非上場にすべきです。そのうえで出光に所属するすべての社員とその家族をきちんと面倒を見ることが求められます。私から見ると出光創業家は自分たちの影響力が軽微になることへの抵抗にしか見えません。今回の反対の主導をしている出光昭介氏は89歳。氏の影響力がいつまでも及ぶわけではありません。そして創業家に昭介氏以外、カリスマ性を持った人が残っているのかを考えると今回の反乱は全くもって長期的ビジョンが欠如した我儘な株主にしか映りません。

会社経営は時代とともに変わりました。そして社員とその家族を取り巻く環境も変わっていることにこの創業家は気が付くべきでしょう。社員をもっと強く、そして物事を判断できる人材に育て上げることが今の経営にはとても重要だということを。

今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、みられる日本人 8月8日付より