鳥越俊太郎氏の「失われた70年」


ここ数日ネットで話題になっている鳥越インタビューだが、その続編も味わい深い。前編で何も知らないまま都知事選に出たことを認めた鳥越氏が、なぜ選挙に出たのかを語る。彼は一貫して都政には無関心で、憲法改正を阻止するために都知事選に出たと語る。

彼は「僕らのように戦後70年を見てきた人間にとって、ものすごい衝撃なんだよ。衆議院も参議院も憲法改正するという勢力が3分の2をとったのは、戦後初めての事態なんだよ」という。東京都知事は憲法については何の権限もないのだが、「ペンの力はもうだめ」だから「事件」を起こして、人々に彼の「衝撃」を伝えたかったらしい。何をそんなに恐れているのだろうか。

僕は60年安保の世代でしたから。当時はまず、総評という柱があって、総評の傘下の労働者が同時に市民運動の担い手であったし、学生運動もちゃんとあって、いろんな人たちが集まっていた。だけど、高度経済成長で、昭和40年代から右肩上がりに豊かになっていく中で、市民運動は、反公害運動だけは残るんですけど、一切の学生運動も労働組合も、どんどん潰れていくわけですよね。

彼の原点はいまだに60年安保らしいが、左翼が「どんどん潰れてきた」のはなぜだろうか。彼は国民が「ボケている」からだというが、ボケているのは彼のほうだ。60年安保で争点になったのは憲法改正ではなく、日米同盟だった。全学連主流派は、日本がアメリカ帝国主義と軍事同盟を組むことに反対し、日本を社会主義にすることをめざしたのだ。

このとき国民は社会主義を支持していたわけではなく、「民主主義を守れ」というマスコミの主張に同調しただけだった。ところがそれを錯覚した社会党は、そのあと左傾化を強め、学生運動は極左化した。彼らの運動は60年代後半にちょっと盛り上がったが、その後はどんどん潰れていった。

それは左翼が間違っていたからだ。「日米同盟で戦争に巻き込まれる」と彼らはいい続けてきたが、何も起こらなかった。60年安保のとき社会党が政権をとって安保条約も自衛隊も廃止していたら、今ごろ北海道はロシアの領土になり、沖縄は中国の領土になっているだろう。東アジア全体が、東欧のようになっているかもしれない。

だから左翼は社会主義を捨て、安保条約も自衛隊も認めて「リベラル」と自称するようになったが、そこには何も残っていない。憲法改正をしてもしなくても、日本の軍備と日米同盟はあるので、何も変わらない。憲法改正に反対するというアジェンダ設定が、根本的にずれているのだ。

だから鳥越氏の人生には、意味がなかった。戦後の左翼ジャーナリストの正義感は錯覚で、彼らの理想は幻だったのだ。彼らが批判した自民党は確かに腐敗した党だが、そのリアリズムは左翼の幼稚な正義よりましだった。しかし鳥越氏は、死ぬまで敗北を認めないだろう。彼らが消えないと、日本は変わらない。