今年も、また8月15日がやってくる。この季節になると、いつも出てくるのが「歴史問題」だが、通説とされている話が最近の研究で否定されることも多い。本書はアメリカ公文書館で発掘した一次史料をもとに、通説を検証するものだ。
中でもおもしろいのは、終戦の経緯だ。通説では、ポツダム宣言で連合国が「無条件降伏」を求め、日本は原爆投下後にそれを受諾したことになっているが、これは誤りだ。なぜなら、他ならぬポツダム宣言が降伏の条件を示しているからだ。ここでは「全日本軍の即時無条件降伏」を求めているが、日本政府にはいくつも条件を認めている。
特に重要なのは「日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める」という部分で、これは(日本国民が望めば)天皇制を維持できるという意味だった。日本政府は「国体護持」さえ認められれば降伏するつもりだったので、これがそういう意味であることを確認するために日米のインテリジェンスが活用され、最終的には昭和天皇がそう解釈して降伏を決断した。
だから原爆投下は、まったく無意味だった。1945年5月に書かれたポツダム宣言の草案には「皇室の維持も可能とする」という条項があったので、これを出せば日本は降伏したはずだが、トルーマン大統領はこの条項を削除して7月に発表した。それは日本政府を迷わせて(当時まだ実験中だった)原爆投下までの時間を稼ぐためだった。
では原爆を投下したのは、何のためか。それはソ連に対して核兵器の威力を見せつけ、占領と戦後処理をアメリカ主導で行なうためだった。それはアメリカの都合だが、結果的にはソ連の参戦後すぐ日本が降伏し、国土の分断は防げた。
だから「国体護持」にこだわって降伏を遅らせた日本政府にも責任があるが、既定方針だった皇室維持条項を削除して原爆投下の時間稼ぎをしたトルーマンの責任がもっとも重い。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」などという曖昧な言葉ではなく、日米政府の責任を明記した原爆慰霊碑が必要だろう。