新版 会社は誰のもの?

岡本 裕明

会社は誰のもの、という質問は多くの働く人にとっての共通の話題でしょう。株主のもの、従業員のもの、経営者のもの、この三つが従来言われてきた選択肢です。一般的には株主のものとされますが、日本では従業員のものという発想も強いのが特徴です。経営者は会社という組織のドライバーであり、従業員という資産をいかにうまく使うか、その技術、能力を売るスペシャリストとみるとナチュラルな気がします。

株主のものとする発想は個人的には完全同意できません。株主は資金を提供する存在ではありますが、株主は経営にコミットできませんし、無能であることも多々あります。金を出す人間が頂点に君臨する仕組みは現在のように金融緩和が進み、格差が拡大する中にあって拝金主義を増長させることになります。

キリスト教のもともとのスタートは労働とは罰であり、嫌な事でありました。一般的な労働のイメージは肉体を提供し、労働への一定時間のコミットを行い、やらされるという受動的な感じがいたします。その点、現在のアメリカは緩和マネーが潤う人間をより潤す仕組みにおいて「1%の人たち」にとって労働の概念を変えてしまったともいえましょう。

会社は誰のものという議論はこんな具合にいろいろな見方ができますし、異論も相当あろうかと思います。こんな中でこの永久不滅の議論に新たなる切り口が現れました。「会社は日銀のもの」であります。

まずはブルームバーグの以下の記事の一部をご覧ください。

「ブルームバーグの集計によると、8月初旬時点で日経平均株価を構成する225銘柄のうち、75%で日銀が大株主上位10位以内に入っており、楽器・音響のヤマハに至っては既に事実上の筆頭株主状態にある。日銀が今回、ETF購入枠を従来の約2倍へ拡大したことで、年内にはセコムやカシオ計算機でも筆頭株主化し、2017年末には55銘柄まで増加する見通しだ。」

7月29日に日銀はETFを3兆3000億円から6兆円まで買い増すと発表しました。当時、日銀としては最善、かつ最も悪影響がでない選択肢であると考えられていました。選択肢の一つ、マイナス金利の深堀は金融機関の経営に響くことが指摘されており、事実、金融庁が具体的数字をもって影響度を発表した経緯があります。

国債についてはすでに市場は日銀に荒らされ尽くされていますが、市場の最大の懸念は国債リスクであります。特に生保や地銀のように国債の保有残高がいまだ高いところは国債価格が下落(利回りが上昇)した際には自己資本比率にダイレクトに響くため、戦々恐々としているというのが正直なところでありましょう。

そこでETFが選ばれたわけです。ETFとはExchange Traded Fundの略で上場投資信託と訳されます。投資信託ですので個別の銘柄を買うわけではなく、組み合わせを買うのですが、その組み合わせも日銀のように莫大な金額を投じるとブルームバーグの調査のような結果になるということです。

具体的な銘柄も指摘されています。

すでに筆頭株主 ヤマハ
年内に筆頭株主 セコム、カシオ
17年3月までに筆頭株主 エーザイ、電通、安川電機、ニチレイなど
17年末までに筆頭株主 ファナック、京セラ、テルモ、ダイキン工業、TDK、住友不動産、オリンパス、アドバンテスト、三越伊勢丹ホールディングス
この傾向は18年以降もどんどん続きます。また、ファーストリテイリングの浮動株比率25%のうち、すでに日銀は半分を確保し年末までに63%となるそうです。(以上ブルームバーグより)

もちろん、先々の話は予想でありますが、今更日銀が方針をひっこめるとも思えませんのでこのブルームバーグの調査は注目すべき内容だといえそうです。

日銀を含む中央銀行の従前の金融政策においては景気へのカンフル剤および調整弁として高い期待のもと一定の効果が生み出されてきました。しかし、最近の政策は副作用がありすぎないでしょうか?先の国債市場、マイナス金利、そして今回のETFもこのままでは株式市場を歪めることになります。

一般的に金利が健全なプラス圏内にあった時代においては金利の上げ下げで景気循環の波を乗り越えることができたのですが、それを超えた緩和策は異次元の世界であり、その影響力については完全に検証されていません。それこそ原発を作ったけれどその終末処理の仕方がまだ決まっていない話とそっくりになってしまいます。

日銀がETFへ資金を突っ込むのは日本を代表する会社群であるから個別銘柄にふらつきがあっても全体論からすれば長期的に安定するというのが前提であるはずです。ですが、ETFを通じた会社の実質筆頭株主が日銀となると経営側は微妙な立場になるでしょう。それは会話ができない筆頭株主であるからです。

日銀の目的はそのウェブサイトからも明白なように物価の安定と金融システムの安定であります。よって個別一般企業への介入はその目的論からしてないと考えられます。ところが日銀の目的を遂行するために投じた資金が意図せずして一部の企業の筆頭株主、ないし大株主になってしまうことは放置できるのか、という素朴な疑問は生まれます。

会社はだれのもの、株主のものというQ&Aがある程度正しいとすればこれら日本を代表する企業は日銀のものになってしまいます。しかも経営にはタッチしないとすればこれは株式市場の健全性に大きな疑問を投げかけざるを得ないのではないでしょうか?

中央銀行はその政策がよりエキストリームになってきています。ところが市場はその刺激に対して鈍感になってきています。麻薬と同じようにその刺激を当然と感じるようになるといざ刺激を無くそうとすれば副作用はより厳しいものになりやすいでしょう。こうみるとたった一つの日銀政策であるものの、日本経済の長期的健全性にどうしても疑問符をつけないわけにはいきません。

では今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 8月16日付より