五輪はメダルが目的にあらず……

リオデジャネイロ夏季五輪大会もいよいよ後半戦に入り、最終日の男子マラソン競技まで、さらなる熱戦が続く。欧州の五輪ファンも時差の関係でもうしばらく早朝TV観戦を強いられる。

4年前のロンドン五輪大会が思いだされる。そうだ、その時もオーストリアの五輪チームはメダルを獲得できずに苦戦し、最後は悲鳴に近い叫びを発し、最後は金メダル、銀メダルどころか銅メダルすら獲得できず五輪閉会式を迎えた。そして、“ロンドンの悪夢”はひょっとしたら、というより、かなりの確率で“リオの悪夢”ともなりそうな雲行きなのだ。

ロンドン五輪大会の時、メディアは連日、「このままいくと、48年前の1964年東京大会の悪夢を繰り返してしまう」といった悲鳴に近い声を発していた(同国は過去、東京大会以外はメダルを獲得した)。日刊紙エストライヒのヴォルフガング・フェルナー主幹は、「オリンピック選手は本来、青年たちに夢を与え、民族愛を鼓舞する立場だが、青年たちに生来の負け犬の姿を見せているだけだ」と厳しく批判していた。今のところ、同主幹のような辛辣な論評はみられない。

オーストリア国民をイライラさせるのは、同国と同じ小国でもメダルをちゃんと獲得する国があるからだ。南太平洋のフィジーは7人制ラグビー男子で史上初の金メダルを獲得したばかりだ。国民は歓喜で包まれているという。初参加の1956年メルボルン五輪以来、メダル獲得自体が初めてだ。おめでたい。それだけではない。隣国でオーストリアより小国のハンガリーは既に金5、銀3、銅4の計12個のメダルを獲得。スイスも金2、銀1、銅2個の計5個、スロベニアは金1、銀1、銅1の計3個、といった具合だ(8月16日現在)。だから、「どうして、わが国の選手はメダルが取れないのか」といった不満の一つも飛び出すわけだ。

日本のメディアの電子版を追っていると、リオ五輪で史上最多のメダル12個を獲得した日本の柔道選手団が15日、成田空港に凱旋帰国したというニュースが流れていた。日本は柔道だけで12個のメダルを獲得したのだ。オーストリア五輪関係者が聞いたら、驚くだろう。フィリピンの女性重量挙げ選手が銀メダルを獲得した。フィリピン初の女性メダリストの誕生という。これまで五輪メダルから縁が薄かった小国もメダルを獲得しているのだ。重ね重ねおめでたいことだ。

オーストリアは過去、夏季五輪大会でこれまで19個の金メダルを獲得した。1人で23個の金メダルを獲得したマイケル・フェルプスと比較するつもりはない。リオ五輪でせめて銅メダルの1個でも獲得する選手が出てくることを祈るだけだ。まだ、希望はある。

オーストリアの国民は誇り高い。世界の耳目が集まる五輪大会でノー・メダル国であることが耐えられないのだ。国民の中には、「わが国はウィンター・スポーツ国だ。夏季五輪で成績が出ないのは仕方がない」と考え、自身を慰める姿がみられる。少し哲学的な国民ならば、「五輪はメダルだけが目的ではない。参加に意義があるのだ」といった昔の名言を思いだしているかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年8月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。