中国公船の尖閣諸島への領海侵入があると、日本の外務省は中国の駐日公使に抗議し、退去を求める。だが、それ以上の「行動」には出ない。
これは今に始まったことではない。領海侵入があると、国会内で議員から外務省などの閣僚や政府高官がしばしば質問を受けてきた。
議員 「不当な領海侵入にどう対処するのか」
政府 「領海から出るように断固抗議します」
議員 「断固抗議しても出て行かなかったり、再度侵入したら、どうしますか」
政府 「再度、断固として抗議しします」
「断固」だけが強い調子だが、口先だけ。「実力排除する」とは決して言わない。そうした問答が今も続いている。
北朝鮮も中国も、腰が引けた日本政府の姿勢を十二分に読んでいる。だから、ノーリスク、平気で何度も侵入を繰り返す。そのうち本気で載り込んでくる危険も高まっている。今そこにある危機だ。能天気のマスコミはその危機をわかっていない。
ただ、かつてはそうではない閣僚もいた。梶山静六官房長官は1997年5月26日、一歩踏み込んだ発言をした。
尖閣諸島の日本領有に抗議する香港、台湾の活動家らが同諸島への上陸を目指し、船で接近していることについて「(上陸の強行)は法令違反であり、関係省庁が協力して、適切な方法により断固として排除する」と述べ、拿捕(だほ)などの厳しい措置を取る意向を表明したのだ。
その後、しばらく上陸に向けた動きはピタリと止まった。「断固抗議」から「断固排除」への一歩踏み込んだ発言に、梶山長官の「ヤル気」が伝わったのだ。
腰が引けた姿勢が、舐めた態度を誘発する。実はこの梶山発言の背後には、役人たちの弱気な態度があった。
同発言の1カ月ほど前、沖縄県の石垣市議らが行政活動の一環として尖閣諸島に上陸、産経新聞記者が同行取材した。その際、古川貞二郎官房副長官が記者会見で、「海上保安庁は『島の所有者は上陸を認めない』と事前に市議に説明した。それを無視して上陸したのは遺憾だ」と、市議らを批判した。
それを見て、中国や香港、台湾の政府やマスコミが一斉に抗議した。中国の外務省スポークスマンは「日本の官房副長官が尖閣諸島に上陸した行為と日本政府の政策が抵触していると明示したことについて、われわれは注意している」とコメントした。
香港の新聞も「日本政府は遺憾を表明」との見出しを掲げ、日本政府が石垣市議らの非を全面的に認め、中国、台湾などの立場に配慮を示したかのように報道した。
尖閣諸島を日本固有の領土と主張しながらも、中国などに配慮し(しすぎ)て、日本の市議らを批判する。役人に典型的な屈辱的な対応が、中国側に逆手にとられ、都合よく利用されたのだ。
梶山長官は違った。1996年7月、都内の政治結社が尖閣諸島の北小島に灯台を建設した際、同長官は「(尖閣諸島の)領有権は厳然とわが国にある。合法的にそういうこと(灯台建設)をすることに対し(政府が)とやかく申し上げる立場にない」と語った。
梶山氏は陸軍士官学校出身で、強面の風貌から「武闘派」「大乱世の梶山」などと呼ばれたが、「兄の戦死を痛く悲しんだ母を見て二度と戦争を起こしたはならない」と政治家を志したといわれる。「日本人の血であがなった憲法9条の精神を捨ててはならない」と述べるハト派の一面もあった。
だから、自身の発言には十分注意しており、「断固排除」の発言も中国側の一方的な侵入を防ぐ計算があったと言われる。同時に、「屈辱的な発言」を繰り返す役人への不満が保守派の日本人に高まっている状況を横目でにらみ、日本人の真情にも配慮したのだろう。
梶山氏を「政治の師」とあおぐ菅義偉・現官房長官はこの辺りの事情を十分に理解している。中国の軍事力は当時とはケタ違いに高まっている状況は無視できないし、経済不振から国民の目を外部(日本)に逸らそうとする動きが習近平主席や中国軍に強まっていることも、注視しているだろう。
だから、安倍首相も菅長官も中国の挑発に乗らず、慎重にならざるをえない。中国が冒険主義的行動をとろうとしても「長い目で見ていいことは何もない。日本との経済協力を大切にした方がいい」と説得に努めることが大切だと思っているはずだ。
その事に異論はない。だが、海保、海空陸の自衛隊、そして外務省もはイザという時に備えて対応策を練っておくことが不可欠である。役人に大きな絵は描けない。安倍政権が対中戦略を具体策を用意して役人をリードしなければならない。
イザという時、「この方針で行け、後は自分が責任をとれ」。そういう覚悟を持ったリーダーがいれば、現場は誇りを持ち、士気を高めて行動できる。
梶山氏にはその心意気があったのではないか、と想像される。安倍首相、そして菅官房長官もその心意気で現在の「今そこにある危機」に臨んでもらいたい。