トルコ・クーデタ未遂から読み解くイスラム主義 ② --- 宇山 卓栄

2010年末、「アラブの春」の民主化運動がチュニジアから始まりました。民主化運動は2011年に、エジプトに波及し、約30年にわたり長期政権を維持してきたムバラク大統領が辞任に追い込まれました。

チュニジアやエジプトでも、トルコと同じように、政教分離派(世俗派)とイスラム主義の対立があります。両国では、独裁政権時代、イスラム主義勢力が抑えられていましたが、「アラブの春」以後、イスラム派の政治勢力が拡大し、世俗派との対立が高まります。

エジプトでムバラク政権の崩壊後、大統領に就任したモルシは、イスラム色の強い政策を展開したため、世俗派が反発し、武力衝突が生じました。

この対立を鎮静化すると称して、軍部が出動し、モルシらイスラム派と世俗派の両勢力を同時に排除し、軍事独裁政権を作りました。

一方、チュニジアではイスラム派が世俗派に譲歩し、「国民対話カルテット」の仲介の元、表現の自由や男女平等といった非イスラム的で民主的な内容を憲法に盛り込むことを認めました。その結果、イスラム派と世俗派は協調することができるようになったのです。

「アラブの春」後、チュニジアだけは例外的に民主化を順調に進めています。チュニジアの民主化のための連合体である「国民対話カルテット」は2015年、ノーベル平和賞を授賞しました。「国民対話カルテット」は労組、商工業連盟、人権組織、弁護士組織など4つの組織の連合体で、チュニジアの民主化のための対話・仲介を担っています。

なぜ、チュニジアだけが民主化を進めることができているのでしょうか。この問いに対する答えとして、チュニジアがエジプトなどと比べ、経済的に豊かであることを指摘する見解があります。エジプトの1人あたりのGDPは3000ドルであるのに対し、チュニジアは4400ドルです。チュニジアにはヨーロッパ資本の会社が多いのも特徴です。

また、エジプトは人口8000万人を超える大国ですが、チュニジアは1000万人と少なく、話し合いの調整がつきやすいという要因も、よく言及されます。

しかし、チュニジアの成功の最大の理由は、イスラム派が譲歩したことです。その理由は二つあります。

戦後、チュニジアの独裁政権であったブルギバ政権(1957-1987年)とベン・アリー政権(1987-2011年)は、近代化政策のもと、イスラム派を弾圧しました。イスラム派は組織的な力を削がれており、ベン・アリー政権崩壊後も、世俗派に対抗することのできる政治力や発言権を持ちませんでした。これが第一の理由です。

一方、エジプトのイスラム派は、1970年代、サダト大統領によって、寛大に処遇されて、議会などで勢力を伸ばしていました。「アラブの春」後、政治力のあったイスラム派はモルシを先頭に、世俗派と激しく対立し、そこに軍部が付け入る隙ができました。

チュニジアでは、イスラム派への弾圧が長期間、続いていたため、イスラム派の一部が地下に潜り、過激組織化していました。ベン・アリー政権崩壊後、アルカイダや「イスラム国(IS)」とも近いイスラム過激派の「アンサール・アル・シャリーア(AAS)*」が暗躍し、2012年、アメリカ大使館を襲撃するなど、イスラム法に基づく立国を求め、テロ活動を行っています。「アンサール・アル・シャリーア」の脅威に対抗するために、チュニジアのイスラム派は世俗派と協調しなければなりませんでした。これが、チュニジアで民主化が進んだ第二の理由です。

チュニジアの政治的な安定はイスラム派の譲歩によって、達成されたものですが、それをトルコやエジプトに求めることはできません。チュニジアでは、戦後の派閥勢力間の駆け引きと、テロの脅威が偶然重なっているだけのことであるからです。

*アンサール・アル・シャリーア(AAS)

イスラム法(シャリーア)の支持者の意味。イスラム法解釈による原理主義的な統治を目指す過激派組織で、チュニジアやリビア、イエメンなどに拡散しています。チュニジアで、2011年の独裁政権崩壊後に勢力を伸ばし、野党指導者暗殺などに関与したとされます。アメリカやイギリスなどからテロ組織として認定されています。

著作家 宇山卓栄
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。著作家。個人投資家として新興国の株式・債券に投資し、「自分の目で見て歩く」をモットーに世界各国を旅する。おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『イラスト図解世界史』(学研)、『日本の今の問題はすでに{世界史}が解決している』(学研)、『経済を読み解くための宗教史』(KADOKAWA)、『世界史で学べ! 間違いだらけの民主主義』(かんき出版)などがある。ブログ http://www.takueiuyama.com/column.html

※アイキャッチ写真はWikipediaより引用(アゴラ編集部)