沖縄県民の私が、なぜ米軍基地を容認するのか --- 小谷 高春

寄稿

市街地にある普天間基地(出典;写真AC)


私は沖縄の米軍基地を容認します。

沖縄に米軍基地があることで、沖縄だけでなく日本と周辺地域の安全と秩序の維持に貢献できるのなら良い事です。

沖縄は経済力が弱く、米軍と政府の補助金は必要です。米軍が沖縄から撤退すれば補助金は大幅に削減されるかもしれません。そうなれば沖縄はさらに貧しくなり、生活保護を受給する人の数も増えると思いますが、それが一部の方々の唱える「平和」なのでしょうか。

「沖縄に負担を押し付けるな、本土に移転せよ」という意見があります。しかし沖縄は日本の一部です。日本の一部からほかの日本の一部に負担を押し付けることで何を達成することになるのでしょうか。一部のジャーナリストや知識人たちは沖縄と本土を分けて考えたいようですが、それは無用な対立を生み出しているだけです。

米軍基地の負担を公平にするために、各都道府県に米軍の戦闘機を数台ずつ配置することも可能ですが、そんなことしても非効率だし、そもそも軍としての役目を果たせません。米軍基地が数箇所に集中することは避けられないのです。

それよりも沖縄は受益(安全と秩序の維持)を受ける代わり、負担も引き受けることをもっと誇りに思い、本土にも同じことをするように訴えることもできます。たとえば最近、国立感染症研究所が「バイオセーフティーレベル4」の指定を受けてこれまで許可されていなかった病原菌が扱えるようになりました。これまで地元の反対を受けて、レベル3以上の研究ができなかったからです。

しかし日本にとって優秀な研究者を育てることは大事です。いざと言う時には彼らの力が必要だからです。それとも政府が対応に失敗したとき、「地元の感情を配慮して万全の準備ができませんでした」と言えば、国民とマスコミは「仕方がない」と納得してくれるのでしょうか。沖縄県民として「なんだかんだいっても国が何とかしてくれる」と信じて疑わない日本の国民に危惧を覚えます。

太平洋戦争で被害を受けたのは沖縄だけではありません。広島・長崎には原爆が落とされ、東京大空襲も起き、それ以外にも多くの日本兵や市民が死んだだけでなく、アジア諸国やほかの国の人たちにも大きな被害を与えました。沖縄は彼らともに戦争の悲惨な歴史と悲しみを共有し、平和に向けて協力すべきなのです。それともどっちがより被害者なのかと競争することが、平和を実現するための道なのでしょうか。

最後に、米軍基地に滞在する軍人や軍関係者、それと彼らの家族に対する中傷や脅しはやめるべきです。彼らのほとんどは好き好んで日本に来ているわけではありません。軍の命令により故郷や友人たちと別れて、ここで暮らしているのです。日米同盟とは関係なく、アメリカは日本にとって大事な国です。

小谷 高春   翻訳家
沖縄県在住