在位「33日間」で博物館が建った法王

長谷川 良

世界の大国・米国を指導した大統領は退任すると自身の名前がついた図書館、博物館が建てられ、現役時代の外交文書や書簡が陳列される。それを真似たわけではないだろうが、世界に12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王も亡くなると博物館や記念館が建立されるようになった。

▲イタリアのベルガモのヨハネ23世博物館(2013年9月26日、ヨハネ23世博物館で撮影)

当方は3年前、イタリアのミラノ市から北東59キロにある小都市ベルガモ市(Bergamo)郊外のソット・イル・モンテにあるローマ法王ヨハネ23世(在位1958年10月~63年6月)の生家を訪問したことがある。教会の近代化を決定した第2バチカン公会議を主導したヨハネ23世の生家は立派な博物館となっている。在位期間27年間を務めたヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月~2005年4月)も母国ポーランドに、生前退位したベネディクト16世(在位2005年4月~13年2月)の場合、出身地の独バイエルン州に、それぞれ博物館や記念館があるといった具合だ。

退位後や亡くなった後、自身の博物館と図書館をつくられる大統領やローマ法王は短くても4年以上の任期を全うしているが、在位33日間の最短在位期間の法王ヨハネ・パウロ1世の博物館が今月26日にオープンする。在位期間は最短だったが、博物館の建設では歴代の法王に負けていない。米大統領が任期1カ月で亡くなった場合、果たして独自の図書館、博物館が建つだろうか、とついつい考えてしまった。

ヨハネ・パウロ1世(在位1978年8月26日~78年9月28日)は法王に就任後、33日後に亡くなった。その法王の博物館が今月26日、同法王の生誕地イタリア北部のカナーレ・ダーゴルドでバチカンのナンバー2、ピエトロ・パロリン国務長官を迎えて、開館式が行われる。バチカン放送独語電子版が19日報じた。

同法王は“笑う法王”と呼ばれ、信者たちの人気が高かった。バチカンでは現在、列福手続きが進められている。イタリアの貧しい家庭で生まれたアルビノ・ルチアーニ(本名)は幼い時から聖職者の道を目指した。70年にはヴェネツィアの大司教になり、生涯貧困問題に強い関心をもち続けた。筆の達つ聖職者で、「神父にならなかったら、ジャーナリストになっていた」といわれるほどで、さまざまなメデイアに意見や見解を明らかにしている。

ところで、近代の教会史で在位期間最短の法王となったヨハネ・パウロ1世の急死についてはさまざまな憶測が今なお流れている。以下、まとめておく。

①「暗殺・毒殺」説
新法王がバチカン銀行の刷新を計画していたことから、イタリアのマフィアや銀行の改革を望まない一部の高位聖職者から暗殺されたという説だ。十分な死体検証も行われなかったことから、証拠隠滅という批判の声もあった。ヨハネ・パウロ1世の死が伝わると、「ローマ法王はバチカン法王庁の書記官によって毒殺された」という噂が真っ先に流れた。米国のデビット・ヤロプ氏はその著書「神の名のもとで」の中で「ヨハネ・パウロ1世は毒殺された」と主張している。また、ベットで死んでいるパウロ1世を最初に見つけたのは修道女だったが、公式発表では個人秘書が発見したことになっている。

②「急性心筋梗塞」説
バチカンは同法王の死因を急性心筋梗塞と発表している。フランスのヤクエス・マーチン枢機卿がその著書「私が仕えた6人のローマ法王」の中で、毒殺説を否定する一方、「問題は死因ではなく、長年心臓病に悩まされていたことが明らかにもかかわらず、コンクラーベ(法王選出会)はなぜヨハネ・パウロ1世をローマ法王に選出したかだ」と指摘している。ヨハネ・パウロ1世は法王就任前に、「私は心臓病に悩まされているから、長時間の激務には耐えられない」と語っていたという。

③「予定説」
法王の実弟エドアルド・ルチア二氏は「私の兄は77年7月11日に、ファティマのマリア再臨の目撃者ルチア修道女と会い、長時間話したことがある。その会談後、兄は顔面蒼白となり、非常に取り乱していた」と証言し、「ルチアは何か非常にショッキングなことを兄に伝えたのではないか」と指摘。その「何か」の1つとして、同氏は「ルチアはローマ・カトリック教会の将来ばかりか、兄に対してもローマ法王に就任したとしても短命に終わることを予言したのではないか」と推測し、ヨハネ・パウロ1世の急死が神の予定であったと受け取っている。ちなみに、同法王が書いたといわれる「遺書」が今日まで発見されていない。

「33日法王」の急死をテーマとした映画や書籍が出版されている。パウロ1世はローマ法王としての業績はほぼ皆無だが、そのミステリアスな「急死」で有名になった法王だ。その法王の博物館が建立された。信者たちにとって新しい巡礼地が生まれたわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年8月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。