「難民歓迎政策」と「太陽政策」の蹉跌

独日刊紙ヴェルト(8月26日付)とのインタビューの中でイスラム教学者 Hazim Fouad 氏は、「イスラム過激主義者サラフィスト(厳格なイスラム復古主義者)に対抗する最高、最強の武器は難民ウエルカム(歓迎)政策の一層の促進だ」と答えている。少し驚いた。
同氏は、「西側に逃げてきたイスラム系難民が、『自分はここで歓迎されている』と感じることができれば、サラフィストたちの甘い言葉に惑わされ、イスラム寺院に行き、西側文化憎悪の説教を聞くことはない」というのだ。同氏によると、「多くのイスラム系難民はサラフィストの勧誘を拒否する、なぜならば、彼らは紛争地から逃れてきたからだ。しかし、ドイツで自分が歓迎されていないという感情が高まれば、危険性が出てくる」という。

難民ウエルカム政策の提唱者、メルケル首相が聞けば笑みを浮かべ、頷くかもしれないが、ドイツ国民の多くはどうだろうか。昨年100万人余りの難民を受け入れてきた。その結果、難民に紛れ込んで来たテロリストがフランス、ベルギー、そしてドイツでもテロ事件を引き起こした。その一方、難民収容ハウスを襲撃する事件が多発し、難民と国民の間に亀裂が生まれてきた。要するに、ドイツの治安は悪化し、外国人犯罪が増加する一方、イスラム・フォビア、外国人排斥運動などが国民の間で広まってきている。その結果、メルケル首相の難民ウエルカム政策への批判が国民の間でも聞かれ出し、あろうことか身内の与党内からも出てきたわけだ。

先のイスラム教学者の主張は、「歓迎が足りないから、問題が生じてくる」とい論理だ。「難民ウエルカムが中途半端だと、その結果も中途半端に終わる。与え尽くせ」という一種のアピールだ。そういえば、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王もそうだ。彼らは異口同音に「紛争地から逃げてきた難民を暖かく迎え入れよ」、「西側社会のボートはまだ一杯ではない」と主張し、難民受け入れに腰が引けている政治家たちに檄を飛ばしている。

実行可能かは問わず、愛の実践、完全無私な愛の実践を求めているわけだ。その点、世界の紛争解決と平和を提唱して創設された国連も同じだ。「ジュネーブ難民条約」では、「政治、民族、宗教などの理由から逃れてきた難民の収容」を明記している。
もちろん、メルケル首相、フランシスコ法王、そして国連の3者の「難民ウエルカム政策」には微妙な相違もあるだろうが、紛争から逃れてきた難民を迎え入れよ、という人道主義的なアピールでは同一だろう。

イスラム教学者の「難民ウエルカム政策の促進」論を読んだ時、韓国の対北政策で一時もてはやされた対北支援政策「太陽政策」(Sunshine Policy)を思いだした。その太陽政策がうまく機能しないことが明らかになってきた時、先のイスラム教学者のような学者が出てきた。ウィーン大学東アジア研究所ルーディガー・フランク教授は、「太陽政策がうまく機能せず、当初の目標が実現できないのは、韓国を含む国際社会が北支援を十分に実施していないからだ」と指摘し、「太陽政策がうまくいかないのは、不十分だったからだ」というのだ。その話を聞いた時、やはり同じように驚いたことを思いだす。

イスラム教学者の「サラフィストからの誘惑を断つほど難民を歓迎」と、フランク教授の「北が独裁国家をやめて解放されるまで経済支援を続けよ」という主張は論理的に酷似している、しかし、前者はイスラム過激派テロの危険性を排除できない一方、北には韓国から入手した経済支援で核開発を促進させる危険性があった。実際、後者はそのようになった。韓国の金大中大統領(任期1998~2003年)が提唱した太陽政策は北の核開発を支える結果となったことはまだ記憶に新しい。

残念ながら、完全な愛の人も、他国のために奉仕を惜しまない国家も存在しない。一方、溺愛は子供の成長にマイナスになるように、支援を受け続ける国も国民もひ弱になっていく。だから、理想と現実の妥協がどうしても必要となる。全ての難民を受け入れることはできない。北の国民が飢餓に苦しんでいるとしても、経済支援が独裁者の手によって核兵器開発に使われることを回避するために、どうしても対北経済支援を制限せざるを得ない。

「難民ウエルカム政策」と「太陽政策」の背後にある、無条件に与え、困窮下の兄弟姉妹を支援するという暖かい思いやりを失うことなく、現実との妥協点を模索していかなければならない。暖かい思いやり、人道愛だけでは問題は解決されないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年8月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。