メタンハイドレートへの夢(上)-青山繁晴氏

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青山繁晴氏は安全保障問題の専門家であり、日本の自立と覚醒を訴える現実に根ざした評論活動で知られていた。本人によれば「人生を一度壊す選択」をして今夏の参議院選挙に自民党から出馬、当選した。

e8c9e3052e58d89a8f7418cda20ae1aa-1-300x225-2政治家への転身の理由は「やらねばならない事があるから」という。氷状のメタンの塊で海底に存在し、天然ガスの代わりとなる期待の新エネルギー、メタンハイドレート。その開発による新しいエネルギー産業の創出が政治家としての課題の一つだ。エネルギー問題を中心に考えを聞いた。

エネルギー産業をめぐっては最近、後ろ向きの話ばかりだ。「未来への希望」が久しく消えている。メタンハイドレートの全貌はまだ不明だが、この開発によって日本の姿を変えるという青山氏の「実現性のともなう夢」は、希望を膨らませる。この夢にかける価値は十分あるだろう。

プロフィール・青山繁晴(あおやま・しげはる)1952年神戸市生まれ。早大政経卒。共同通信記者、三菱総合研究所研究員を経て、2002年独立総合研究所を設立し、代表取締役社長兼首席研究員に就任。研究活動の傍ら執筆・評論活動を続け著書多数。最新刊は『壊れた地球儀の直し方』(扶桑社)、『平成紀』(幻冬舎)。2016年7月の参議院選挙(比例代表、旧全国区)で初当選。

(以下・本文)

「命も名もいらず官位も金もいらぬ人」こそ政治家に

問・なぜ政治家になったのでしょうか。

青山・私はこれまで7回、選挙に出ないかという誘いを複数の政党からいただきました。今回は8回目の要請でした。「国益のためどうしても、やるべきことがあるから1期6年だけ行います。政治家を職業にするつもりはありません」と選挙運動で述べました。

私は当選しても、何も変わりません。専門家の端くれとして内閣と省庁に意見をこれまで通り申します。ただし経営していたシンクタンクの独立総合研究所(独研)は社長兼首席研究員の立場を退き、株もすべて無償で放棄しました。献金はいかなる場合も受け取りません。地位を斡旋してくれる党内派閥には属しません。金儲けとか名声のために、政治を行うのではないことを示すためです。

西郷隆盛が『南洲遺訓』の中で「命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成しえられぬなり」と述べています。この言葉のように、何事にも利害関係のない人間が政治家になる先例をつくり、後にさまざまな立場の方が同じような形で、政治家、公職、社会活動を引き受けることが広がればよいという期待があります。

問・選挙結果は48万1890票の大量得票を得て、自民党の比例代表の選出議員の中では2位での当選となりました。青山さんは日本の安全保障上の危機、北朝鮮による拉致問題の解決、そして日本の自立を言論界で訴えてきました。そうした意見は日本にこれまで少なかったように思います。危機感に共感する人が一定数いて、着実に増えているのではないでしょうか。

青山・私も少しはそう思います。まだまだ少数派ではありますが…。公示2日前の出馬会見であり、選挙は独研の秘書が会社を休んでボランティアで参加してくれて、あとはこれもボランティアで選挙カーを運転いただいたタクシー運転手の方の3人だけでした。はがき1枚出さず、電話もせず、ホームページも私の普段の地味なブログと、遊説日程の予定概略を伝えるフェイスブックのみ。街頭演説を東京、大阪などの主要都市でしただけという異例の選挙活動でした。

私にはテロの危険があると警察関係者から非公式に言われ、またある政党が妨害工作をしかけてきたので、街頭演説の場所を直前まで明確に示しませんでした。動員はもちろんゼロ。ところが常に500人から1000人の方が集まって、演説に真剣に耳を傾けていただけました。みんなの志だけで、それがSNSを通じて広がり、多くの方に見ていただきました。

自民党からは業界団体などの組織票の支援をつけるという提案をいただきましたが、私はそれを断りました。利害関係を持ちたくなかったためです。選挙中に、ある政治家に「青山さんの得票は2万票だろう」と言われました。参議院選挙の比例区、つまり旧全国区は、業界団体、組合の組織票が中心となりますから、そういう見通しだったのでしょう。

けれども結果は、大変な数の票をいただきました。それに驚くと共に、自分に与えていただいた期待に大変な緊張をしています。これまで私は自由に生きてきましたが、支持いただいた有権者の皆さんの期待に、少しでも応える努力をしたいと思います。

日本経済の強化、メタンハイドレートの産業化

問・政治家として「やるべきこと」とは何ですか。

青山・まず、遊説でもずっと申した通り、日本経済を強くすることです。そのことこそ日本の独立を確保し、安全保障の強化を支えます。アベノミクスが伸び悩んでいる理由は、成長産業の柱がないためだと思います。それを作る手伝いをしたいのです。

私は安全保障の専門家として、またシンクタンクの経営者として、かつては記者として、日本と世界のさまざまな現場を見て歩き、人々の話を聞いてきました。その中で政治・政策が支えれば大きく伸びるであろう、可能性がある日本の産業の種がいくつもあることに気づきました。

特に、メタンハイドレート、熱水鉱床(マグマの中の元素を含む熱水が冷えてできた鉱脈)とレアメタルなどの自前の海洋資源開発、農業、自動車産業の自動運転技術が、政治の後押しがあれば、日本を変え、世界に貢献できる産業と考えています。そして今、世界の紛争は領土よりも、食糧と資源を求めて発生しています。日本が世界一安全な農作物と自前の資源を安く世界におわけすれば、世界を平和にします。それが本物の「平和国家」ではないでしょうか。

例えば、イタリアは「料理」や「食文化」を、自国のソフトパワーとして世界に売り出しています。イタリアの観光都市で有名シェフが、日本の野菜、米、酒のおいしさ、安全性に感銘を受け、現地の産物より何倍も高い値段でも、購入したいと切望したりするのです。

日本人が当たり前のように享受している日本産の食べ物は、外国から見るとすばらしい存在です。これは農家の勤勉さ、まじめさに加えて、小規模ゆえに手をかけ付加価値をつけようとする努力ゆえに生まれたものです。

ところが農水省は米国のような農業の工業化、大規模化を志向し、補助金行政を続けてしまった。日本人の力を信じ、強みを伸ばし、国際競争に勝つことをうながす政策にすれば、日本の産業は世界で戦えるものがたくさんあります。

問・電力業界では、青山さんを原子力の警備体制を適切なものに変えた功労者の一人として高く評価する人々がいます。原発の立地する自治体警察には原子力関連施設警戒隊が置かれ、隊員は短機関銃MP5を持つ重武装をしています。そして各原発は警察、自衛隊に協力して警備活動を行い、そして海上保安庁の巡視艇が原発近海を警戒しています。いずれも青山さんの提案が参考にされたそうですね。

青山・守秘義務があるので詳細は申せませんが、あなたが指摘された点は、私の提言がかなり受け入れられたものです。

私は、エネルギー業界と利害関係を持ったことはありません。しかし原子力発電所の警備体制について安全保障の専門家として懸念をし、警備の強化を三菱総研の研究員時代の1990年代末から提言してきました。この時期には、テロ対策はほとんど行われていませんでした。

原子力施設は放射性物質を扱い、危険があります。それは当然テロの対象になります。実際に北朝鮮の工作機関が原子力施設を偵察した痕跡が日本海側の各所にあります。拉致事件も原子力施設の近くで発生し、その関連が疑われています。

こうした懸念をある電力会社の首脳に話したところ、ちょうど原発の所長が、「部外者の監視の気配がある」という危機感を伝える手紙を、その人のところに送ってきた直後でした。その所長にも会いましたが、事態は深刻なものでした。

その会社、さらに行政、警察と話し合いました。さらに当時は三菱総研の社員でしたが、会社の仕事を越えて、自分の負担も加えて各国の警備体制の調査を行い、提案を続けました。独立総合研究所を作った後も、その活動は続けました。

各国の安全保障の当局は原発警備などの極秘事項については、なかなか現場を見せません。しかし適切な分析をすると、専門家として処遇され、現場に入れてくれて警備体制への意見を聞かれるようになります。それで各国の状況を深く知り、それを参考に日本の法律、行政機構、社会の制約の中で、実行可能な具体的なプランを提案していきました。

日本社会の健全なところは、どのような組織にも良心派がいて、その人々が組織の中で出世していることもあるのです。原発のテロ対策について、それまでのように「何も問題ない」とするのが一番楽だったでしょう。しかし私の提案について、深刻に受け止め、改革を行う行政、民間の人々がいました。

今の日本では、世界水準でみても原子力施設に厳重な警備体制が取られています。もしこれを進めていなければ、これまでテロは起きかねなかったでしょう。私はテロリストの視点に立って可能性を考えますが、東京電力の福島第一原発事故は、原子力テロを起こしやすい機会でした。それでも何もなかったのは、対策があったからです。日本は、そうした緊張状態の中にいるのです。

問・東京電力福島第1原発事故では専門家で青山さんのみが、事故直後の11年4月22日に原発内の入構を東電に認められ「破滅的な状況に到らなかった」という実情を国民に伝えました。当時の民主党政権からは「勝手に入った」と批判されましたし、今回の参議院選挙期間中に青山さんを誹謗する記事を出した週刊文春の記事もそのような趣旨の報道をしました。

001青山・まるまる事実に反します。当時の吉田昌郎所長が「売名行為の訪問なら断る。有意義な助言と発信をしてくれる専門家の中で、現場に行くと手を上げたのは青山さんだけだった。他の専門家は、東電内でも、行政の原子力安全・保安院(経産省)でも原子力安全委員会(内閣府)でも、学界でも、安全なところからテレビ会議をするだけで、ここには来ようとしない。菅直人氏(当時の首相)はやってきて怒鳴りちらしただけ」という趣旨の発言を私にしました。吉田さんとのインタビューの一部は映像も残っています。

吉田さんの苦悩は深刻でした。東京の責任ある立場の人が現実から逃げるとか、責任を果たさない、そして現場を見ないという問題ゆえに、福島事故が起こったと思います。その後の混乱も、そうした原子力をめぐる専門家に問題があるゆえに、今でも続いています。(写真は事故直後の状況、東電提供)

に続く)

(取材・編集 石井孝明 記者、GEPR編集者)