日本の都だったことがあるのは10都道府県⁈

八幡 和郎

地理の教科書を見ると、首都とは「政府のある都市」と書いてある。これだと、マレーシアはプトラジャヤ、オランダはハーグになるが、憲法でそれぞれクアラルンプールとアムステルダムだ。

日本の場合に都といえば天皇のおられるところだが、幕府があった時代は先の文部省の定義だとどうなるのか難しい。江戸時代だと江戸になりそうだが、摂関制の朝廷こそが本来の政府であって、幕府はっそこから統治を委任されていただけとかいうとややこしいことになる。

あるいは、1990年代に首都機能の移転が話題になっていたときは、皇居は東京に残すということになっていたので、首都移転とはいわず、首都機能の移転といっていた。

それでは、天皇のおられるところを首都だとすると,日本の歴史でいったいいくつの都道府県に首都があったことになるのか。

臨時の行在所や賠都などをどう数えるかが難しいところだが、いちおう、広めにとると、東京・福井・滋賀・京都・奈良・兵庫・山口・福岡・広島の9都道府県になる。

福井と山口は、仲哀天皇と神功皇后のおられた敦賀(気比)と豊浦(下関)だ。福岡は仲哀天皇と神功皇后の福岡(香椎)と斉明天皇の朝倉市(広庭宮)です。この朝倉のあたりは、邪馬台国の候補の一つだ。

滋賀県には、大津市に景行・成務・仲哀天皇の穴太(高穴穂)、天智・弘文天皇の大津、淳仁天皇の保良宮、聖武天皇の紫香楽と四箇所もあった。

京都は平安京のほか、継体天皇の長岡京市(弟国)と京田辺市(筒城)、聖武天皇の木津川市(恭仁京)、桓武天皇の長岡京だ。

大阪は、仁徳・孝徳・聖武天皇の難波京のほかに松原市に反正天皇の丹比柴籬宮、八尾市に称德天皇の八尾市由義宮もあった。

兵庫県は安徳天皇の神戸市福原京だ。広島県は何だと思われるだろうが、日清戦争中には広島市に大本営が置かれ、国会もここで開かれた。

大和朝廷の生まれた奈良県には多くの宮都があったのはいうまでもない。宮崎県はどうかといえば、それはない。神武天皇が天皇になったのは、大和橿原でのことだ。

これは、宮都があったところだが、幕府があったところも首都の一種だといえばどうなる。鎌倉幕府はずっと鎌倉にあったが、室町幕府は京都の室町今出川付近と三条坊門(御池)高倉を行ったり来たりしていたが、近江に逃げ出すことも多かった。そのうち、安土城近くの近江八幡市桑実寺にあったときは、正式の移転とみなされ、近江幕府ともいわれる。

江戸幕府はなんと家康の時は伏見で成立してそのままだった。二代目の秀忠になって江戸に移ったが、実質的な実力者の家康は伏見にとどまり、ついで駿府に移ったから江戸に実質的な政治の中心が移ったのは幕府成立から13年後の1616年になってからだ。

そして、幕末には第14代将軍の家茂は大坂城で死に、最後の将軍慶喜は就任から王政復古まで二条城にあった。

また、将軍ではないが豊臣秀吉は、本能寺の変のあと、長浜→山崎→大坂→聚楽第→名護屋→大坂→伏見(指月城)→大坂→伏見(木幡城)と移り死んだ。ただ、実質的には京都・伏見が実質的な政務の中心だったとみるべきだろう。

「日本の古都がわかる事典」(日本実業出版社)では、こうした都の移りかわりを豊富で良質な地図で紹介し、さらに、大宰府とか多賀城といった副首都的な機能を果たした都市も紹介した。

また、明治以降の首都移転論議も紹介したが、そのなかで、関東大震災後に移転が検討されたときの意外な候補地を紹介している。

なんと、最有力候補は京城(ソウル)の南山だった。

参考文献:


<訂正6日23:00>タイトルの数字に誤りがありました。「9」ではなく「10」になります。