どうして憲法九条があると平和が守られるのだろう?

小学校の頃から疑問に思っていたことがある。

憲法九条があるから、日本は平和だという理屈だ。小学生の私には、全く理解できなかった。自分自身が身を守る術を持たなければ、平和ではなくなると感じるのが常識だと思ったからだ。だが、小学校でも中学校でも憲法九条の平和主義は素晴らしいと教えられた。

どのように考えてみてもおかしいのだが、平和憲法があるから、日本が平和である、という奇妙な論理が当然のように語られてきた。

何故、日本が戦力を持たないから、相手が攻め込まないという因果関係が成立するのだろうか。

例えば、日本を攻めてくる国など存在しないことが確実である場合、確かに日本は平和だといってよい。しかし、これは、何も平和憲法が存在するから、攻めてくる国がないのではない。攻めてくる国がないから、偶然、平和憲法を持った我が国が平和であるに過ぎない。要するに、平和憲法があるから、我が国が平和であるという因果関係を証明したことにはならない。

平和憲法があるから、日本が平和であるという因果関係を成り立たせるための理屈はありうるのだろうか。突き詰めて考えれば、こういう因果関係の可能性がありうるだろう。

日本を攻め込もうとした国家があったとき、「こういう武力を持たない日本のような国家に攻め込むのは、人の道に反するから止めておこう」、あるいは、「平和国家に攻め込むのは可哀想だからやめておこう」と相手に思ってもらえるから、日本は攻め込まれないという論理だ。すなわち、平和憲法を守っていれば、攻めかかろうとする相手の憐憫の情に訴えることができるから、日本は平和だということだ。あるいは、攻め込んだ場合に、他国や国際社会から、「平和国家を侵略するなど、余りに酷いことはやめよ」との声が沸き上がり、攻め込んだ相手が猛省せざるを得ないから、日本は平和だという理屈だ。

どちらも現実離れした主張のようだが、実際に社民党の福島瑞穂氏は、次のように主張している。

「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中から非難される」(『産経新聞』平成二十四年八月三十一日付)

(続きはメルマガでお読みください。今月号は「鳥越俊太郎論 日本型反知性主義の象徴 )

≪講演会のお知らせ≫
政治学者岩田温の講演会を松本市で開催します。

演題「日本型反知性主義~日本のリベラルは何故おかしいのか~」

都知事選挙に立候補した鳥越俊太郎氏は、NHKの番組で「日本を攻めてくる国はありえない」「(攻めてくる国があるというのは)妄想だ、虚構だ」と主張していました。本当に憲法九条を守っていれば、日本は平和でいられるのでしょうか?
日本を取り巻く国際情勢、極めて強引な憲法解釈と自衛隊の関係など、初心者にも分かりやすく解説します。

日時  9月18日(土)14時30分から16時30分
参加費 3000円
場所  松本市駅前会館
お申し込みはこちらからよろしくお願いいたします。会場の都合上、残席わずかなのでお早めにお申し込み下さい。満員になり次第、締め切りを終了させていただきます。

 

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編集部より:この記事は政治学者・岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2016年9月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。