オーストリアはトルコ問題では他の欧州諸国の中で最も過敏に反応する国だ。その理由はやはり歴史的背景があるからだろう。同国は過去2回、オスマン・トルコから侵入を受けた。1529年と1683年だ。特に、後者(第2次ウィーン包囲)では、北上するトルコ軍にオーストリア側は守勢を余儀なくされ、ウィーン市陥落の危機に直面した。皇帝レオポルト1世の支援要請を受けたポーランド王ヤン・ソビエスキーの援軍がなければ、危なかっただろう。ウィーンがトルコ軍の支配下に陥っていたら、オーストリアはイスラム圏に入り、キリスト教文化は消滅していたかもしれない。
最後のトルコ軍が撤退して今年9月で333年が経過する。オーストリアは今、エルドアン大統領が率いるトルコとの関係で苦慮している。オーストリアとトルコ両国関係はもともと「良好」とは程遠かったが、アンカラ(トルコ政府)がウィーン駐在の自国大使を召還させたことで冷戦関係に突入してしまった。
トルコのチャブシオール外相が先月22日、オーストリア政府のトルコ政策に抗議して、同国の大使に帰国を命じ、「両国関係の見直しが必要となった」と公表した。同日、アンカラでは駐トルコのオーストリア側代表が外務省に呼び出されている。
トルコ側の今回の判断は、ウィーン市内で8月19日、クルド系デモ集会が挙行され、エルドアン大統領の人権蹂躙政策などを非難したことに対し、「オーストリアはわが国がテロ組織としているクルド労働党(PKK)支持者のデモを許した」と抗議し、大使を召還したわけだ。
オーストリアではクーデター未遂事件後のエルドアン大統領の強権政治、粛清、人権蹂躙に対して、メディアで連日、批判的な声が報じられてきた。同国最大部数を誇るクローネン紙は、「トルコでは15歳以下の子供と性関係を持つことを許している」と報じて、アンカラを怒らせたばかりだ。また、クーデター未遂後のエルドアン政権の圧政に対し、ケルン首相が、「トルコは欧州連合(EU)に加盟する資格はない」と指摘、アンカラのEU加盟の可能性を完全に否定する発言を行った。
トルコ側は、「オーストリアでは過激な民族主義が席巻している」と反撃。それに対し、オーストリアのハンス・ペーター・ドスツィル国防相は、「トルコは独裁国家だ」と発言するなど、両国間の批判合戦はエスカレートしてきた。
ここにきてオーストリア考古学研究所チームがトルコ西部の古代都市エフェソス(Ephesus)の発掘調査をトルコ外務省の要請で中止させられたことが明らかになった。2015年、世界遺産リストに登録されたエフェソス発掘調査は20カ国から250人の学者たちが参加している国際発掘プロジェクトだ。トルコ側が先月末、オーストリアの考古学者チームの発掘調査を一方的に中止要請した背景には、やはりオーストリアとの関係悪化があるからだ、と受け取られている。
ところで、今月16日、EU非公式首脳会談がスロバキアの首都ブラチスラヴァで開催されるが、トルコ問題は大きな議題の一つだ。オーストリアはEUにトルコの加盟交渉の停止を含む強硬姿勢を要求しているが、他の欧州諸国は、「トルコとの交渉は継続していくべきだ」と慎重だ。難民問題でトルコとの連携が不可欠であるという判断から、アンカラとの正面衝突を回避する動きが依然、強いわけだ。
トルコ問題となれば、オーストリアは神経質になってしまう傾向がある。はっきりしている点は、EU加盟国間の中でもアンチ・トルコ傾向は際立っていることだ。333年前のイスラム北上の苦い記憶が自然に蘇ってくるのかもしれない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年9月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。