不自由な「自由主義」の跳梁跋扈 --- 神谷 匠蔵

これまで私は欧州、特にイギリスの高学歴層の間ででいかに「リベラリズム/liberalism」が根強いかということを伝えてきた。イギリスの若者のEU離脱に対する反応や、「人種差別」に関するタブーなど、例を挙げれば枚挙に暇がない。

実際、北米を含む「欧米」に於ける「言論の自由」をめぐる状況は大変厳しいと言わざるを得ない。事実上、圧倒的なメディア・アカデミック双方の権力を笠に着ているリベラル派が少しでも「右寄り」な、特に「性差別的」あるいは「人種差別的」な意見を悉く圧殺しているのが現状だ。

「グーグル」などの王手検索エンジンをはじめ、YoutubeやFacebook、Twitterに至るまで、英語メディアにおける「言葉狩り」は驚くほど苛烈だ。

例えば、英語圏ではそこそこ有名なユーチューバのAtheism is Unstoppable (AIU)は、その名が示す通り元々「反宗教」をテーゼとし、 “Atheist”(無神論者)を自称しながら他人が宗教を信じることに対しては積極的に寛容であろうとするような人々の「宗教的寛容主義」を欺瞞だと一笑し批判することなどで人気になった。キリスト教やユダヤ教の教えの非科学性を指摘して笑っていただけのころは特に問題にもならなかったが、これが転じて「イスラム教」の批判をはじめた途端大量の「リベラル」達がAIUを “racist”として非難するようになり、その結果AIUは既に何度もYoutubeからペナルティを受けている。

実はこのような例は他にも複数あり、中には完全にアカウントを削除された者もいる。また、Microsoftが開発したAIのTayは人工知能がTwitter上で人々とどの程度円滑に会話できるかを実験するために試用されたのだが、 “racist”なtweetを繰り返すようになったという理由で活動を停止させられたという小さな事件もある。

このことからもわかる通り、西洋のリベラリズムは、人間はおろか明らかに何の悪意もない「人工知能」の「人種差別」発言でさえ許容しない。

日本では、「リベラリズム」という言葉はそもそも一般に浸透していないかもしれない。だが、少なくとも「リベラリズム」の何たるかを講釈できるほどの知識人の間では未だに「リベラリズム」は西洋、特にアメリカの最新の思潮であり、戦後の平和な素晴らしき新時代を支える「大正義」だとでも言わんばかりの論調が目立つ。特にテレビや商業出版物などの公式メディア上でその傾向は非常に強い。

どちらかといえば保守系の言論をネット上で行う無数の匿名一般ブロガーの中には、この「リベラリズム」の欺瞞をはっきりそう指摘しないまでも、個々の「リベラル派」の言論に対して違和感や反感を感じている人が結構いるようだが、多くの保守派は「リベラリズム」そのものまでをも批判するほど尖っていない。

また、リベラリズムそれ自体を否定するほどの「偏った」意見が公式メディア上で取り上げられることはほとんどない。ブログ記事の強制削除などの、西洋において見られる露骨な「弾圧」があるわけではないにしても、日本では「黙殺」あるいは「自主規制」という形で「危険」とされる言論の影響力が抑制されているという点では同じだ。

「出版不況」という構造的問題を盾に少しでも「売れる」エンターテイメントばかりが持て囃されては消費されつづけているという日本の文芸をめぐる状況は、「学識者」という権威の恩恵に預かれない市民が自分の意見をおおやけに表明する機会を間接的に奪い去ってしまうことで「政治的無関心」という名の日本独特の political correctness(政治的正しさ)を醸成してしまっている。

逆に「学識者」の方も立場上「学界」における評判を気にせざるを得えず、表面的にではなく根源的に反体制的な意見を表明することに対してはさすがに躊躇せざるを得ない状況にある。

こうして、政治的関心を持つこと自体は肯定するものの、その方向性が少しでも「リベラリズム」と矛盾すればすぐに叩き潰してしまう「西洋」と、そもそも政治的関心を持つこと自体が暗に否定的に評価される「日本」(あるいは「東洋」全体に言えることかもしれない)のはざまで、「保守」「革新」あるいは「右翼」「左翼」というシェーマに凝り固まった社会から忘れられたanti-liberalism (反リベラリズム)あるいは anti-modernism (反近代主義)は「存在しないもの」あるいは「愚劣な反知性主義の代名詞」としてのみ扱われている。

フランスのFront NationalやアメリカのDonald Trump氏、英国のEU離脱派やUKIP、ドイツのPegidaやオーストリアの自由党などを全て一緒くたに「極右」「ポピュリズム」「反知性主義」だと一蹴してしまう日本を含む「世界」のメディアあるいは知識人達は、人類がこんな「リベラリズム」の欺瞞にはもう耐えられないし、一般庶民の現状に対する不満は単に「面白い」だけのエンターテイメントやファスト・フードという現代の「パンとサーカス」だけでは解消し得ないのだという事実から眼を背けているのではないか。

私には、このような西洋的「知性」の思考停止状態をDaesh(イスラム国)やDaeshを支持する回教信者が嘲笑っているように思えてならない。

神谷匠蔵

1992年生まれ。愛知県出身。慶應義塾大学法学部法律学科を中退し、英ダラム大学へ留学。ダラム大学では哲学を専攻。