20万人の犠牲者、200万人の難民・避難民を出した欧州戦後最大の民族紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992~95年)を終焉させたデイトン和平協定がパリで締結されて今年12月で21年目を迎えるが、ボスニアから気がかりなニュースが届いた。
デートン和平協定に基づき、ボスニアはイスラム系とクロアチア系が多数を占めるボスニア連邦とセルビア系住民が支配するスルプスカ共和国の二つの構成体からなる連邦国家だが、サラエボの憲法裁判所が9月17日、セルビア側が一方的に導入した建国記念日1月9日を憲法違反とし、その撤廃を命じる判決を下した。それに対し、スルプスカ共和国のミロラド・ドディク大統領(Milorad Dodik)の呼びかけで、セルビア側は25日、憲法裁判所の判決撤回を求める住民投票を実施したのだ。
スルプスカ共和国側の首都バ二ャ・ルカからの情報によると、投票結果(暫定)は連邦憲法裁判所の判決に反対が99・8%だったという。結果は事前に予想されたことだが、ほぼ全てのセルビア系住民が反対したわけだ。セルビア側は住民投票の結果を受け、1月9日を建国記念日とする決定を堅持する意向だ。
住民投票の実施に対しては米国や欧州連合(EU)はセルビア側に住民投票の実施断念を要請し、最高裁判所に当たる憲法裁判所の決定を受け入れるように求めてきた。米国やEUは、住民投票が国民の民族主義を煽り、ボスニア連邦から離脱を求める運動に発展することを恐れている。
スルプスカ共和国の住民投票に対して、セルビア人の母国、セルビア共和国も歓迎していない。EU加盟を模索しているセルビア側としてはブリュッセルが強く反対している住民投票を支持できない。スルプスカ共和国の住民が願っている母国セルビアへの併合はボスニア紛争再発の危険性が出てくる。EU接近、国民経済の復興に全力を投入しなければならない時だけに、ボスニアの民族紛争に介入する余裕はない、というのがベオグラード政府の考えだからだ。
「ウィーン国際比較経済研究所」(WIIW)の上級エコノミスト、ウラジミール・グリゴロフ氏は、「ボスニア紛争後の過去20年は残念ながらサクセス・ストーリーではなかった。民族紛争によって大部分の産業インフラは破壊され、多くの国民は国外に逃げていった。失業率は現在30%に近い。特に、青年の失業率は50%にもなる。政治的、社会的不安定なボスニアに投資する欧米企業は少なく、過去20年間でボスニアに流れ込んだ資金は海外出稼ぎ組の送金と国際社会からの経済支援だ」という。
なお、グリゴロフ氏は、「スルプスカ共和国では母国セルビアへの併合を要求する声が聞かれるが、“ロシアがウクライナのクリミア半島を併合したように、セルビアがスルプスカ共和国を併合する”というシナリオは非現実的だ」とみている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年9月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。