17世紀以来の近代科学は物理学をモデルにした機械論だったが、21世紀の科学は生物学をモデルにした進化論になるだろう。宇宙も社会もランダムな突然変異と淘汰の繰り返しで進化してきたが、世界に目的があると思いたいバイアスは強い。そのもっとも古い形態は宗教だが、機械論はキリスト教の目的論を継承している。
ダーウィンの無神論的な世界観に対するキリスト教原理主義の反論は、単なる偶然の繰り返しで人間のような複雑な生物ができるのかということだが、生物学ではこの疑問は解決されている。DNAが自己を複製する力は強く、その膨大な組み合わせの中のごく一部が遺伝子として生物を生み出した。ヒトのゲノムの中で、遺伝情報を伝えるDNAは3%にすぎない。
残りのジャンクDNAは生物に寄生して自己を複製しているので、生物の複雑さとゲノムの大きさは対応していない。バッタのゲノムはヒトの3倍、タマネギは5倍だ。ジャンクDNAは遺伝子ではないので、ドーキンスの「利己的な遺伝子」という表現は誤りで、「利己的なDNA」といったほうがいい。このような冗長性が生物の特徴で、同じ遺伝形質を表現するDNAの組み合わせが数多くあり、そのうちどれかが環境変化に適応して生き残ればいい。
ただ生物学以外の分野についての本書の説明は弱い。物理学でも「宇宙の進化」についての研究は多いが、本書はルクレティウスしか論じていない。経済や文化に至っては、アナロジー以上の話はない。特に致命的な欠陥は、すべてを「ボトムアップ」で論じる単純な論理だ。政府や企業が「自然発生的に」できるはずがない。
著者が社会的進化論の先駆者として賞賛するハイエクは、その違いをコスモスとタクシスとして区別した。社会(コスモス)は進化論的に自己組織化されるが、人間のつくる組織(タクシス)は目的論的につくられ、トップダウンで動く。市場は多くの組織が進化論的に競争して淘汰されるしくみだ。
経済学も、新古典派的な予定調和の目的論を捨て始めている。「フォワード・ルッキング」な計画主体がマクロ経済を最適化するという荒唐無稽な理論は、日銀の金融政策の失敗でも反証された。進化論が正しいことは明らかだが、それがコンピュータ・シミュレーションを超えて反証可能な理論になるにはまだ時間がかかるだろう。
第1章 宇宙の進化
第2章 道徳の進化
第3章 生物の進化
第4章 遺伝子の進化
第5章 文化の進化
第6章 経済の進化
第7章 テクノロジーの進化
第8章 心の進化
第9章 人格の進化
第10章 教育の進化
第11章 人口の進化
第12章 リーダーシップの進化
第13章 政府の進化
第14章 宗教の進化
第15章 通貨の進化
第16章 インターネットの進化