ドゥテルテ大統領の評価を日本の価値観で量る無意味 --- 林 けんいち

フィリピン大統領に当選したロドリゴ・ドゥテルテ氏、麻薬撲滅を公約にしており、そのために麻薬に関わる犯罪者を裁判にもかけず超法規的に約1000人を殺害したとも報道され話題になっています。しかもそんなドゥテルテ氏をフィリピン国民の大多数が支持しているとの事。

また9月25日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」に出演した美容外科「高須クリニック」院長の高須克弥氏が「こんな立派な政治家いない」と称賛したりなどして、それも賛否両論、物議を醸しだしています。

で、高須委員長も含めてこの件についていろんな意見を言っている人はみんな、日本という民主主義や法の支配が一定レベルで機能している先進国の価値観をそのまま持ち込んでコメントしてるんですよ。高須委員長も土台として持ち込んでいる。

当然だけど日本で安倍総理が(発狂して)こんな命令をだしても誰も従いません。トランプ氏が大統領になって言い出しても同じでしょう。

でも、フィリピンでは大統領が命令をだしたら実行されるんです。そういう国での話なんです。

もちろん人権も法の支配も大事です。でも例えば日本の江戸時代なんかにもいろんな犯罪が起こっていて警察のような組織もあったわけです。

科学捜査なんてもちろんないから、そりゃもう冤罪のオンパレードだったでしょう。でもだからってその状態のまま推定無罪の原則通り、確実な証拠があるもの以外をすべて無罪にすることが全体として正しいのかどうか、まあこれは別に江戸時代に例えずとも現代でも同じことが言えるんですが

それでも江戸時代に比べれば推定無罪の原則に現在のほうが近づいているのは間違いありません。

なぜ近づけることが出来たかというと、科学捜査の発展によりある程度の推定無罪の方向で容疑者の人権を守りつつもそれでも一定の犯罪を検挙できるようになったからです。

もちろん現在でも推定無罪の原則は完全ではありません。それは不可能です。科学捜査技術の発展や治安維持への予算配分など、その国家の成熟レベルに応じ少しでも完全に近づけるべきものです。

そしてその度合いが重要だということです。

日本とフィリピンではその適正な度合いはもちろん同じではありません。

そして日本においても現在の日本の国家レベルにおいて犯罪捜査、刑事裁判の原則は適正なのか?

守りすぎなのか、守らなさすぎなのか???

これ、ほんとに微妙すぎるくらい微妙で難しい問題なんですよね。

そして大統領が裁判なしで犯罪者を処刑しろと命令したらそれが通ってしまうレベルの国において、それが適正かどうかという判断もすごく微妙なところなんだと思います。

日本の犯罪捜査のあり方の評価も、長年日本に住んでいる人達が感覚的に下している評価も賛否両論となっています。死刑の廃絶なんかも意見は別れていますしね。

そしてフィリピン人も、支持が優勢ではあるが賛否両論で、そしてどちらの国においてもそれは多数決で解決できるほど単純な問題でもないわけです。

それをね、、、

世界トップレベルの治安を誇る日本に住んで、フィリピンの犯罪の驚異を感じたこともない人達があーだこーだ議論することに一体なんの意味があるのか全然わからないんです。

フリーライター 林けんいち(ブログ:非常識バイアス