豊洲問題。地下空間の隠蔽は、都議会が生み出した

柳ヶ瀬 裕文

こんにちは。東京都議会議員(大田区選出)のやながせ裕文です。今日は豊洲市場の問題について。

都庁の隠蔽体質が激しいバッシングを浴びている。

東京都は、豊洲市場の「地下空間」設置を言い出したのは「技術会議」だと言い逃れてきたが、これがまったくのデタラメであることが明らかになった。更には、「地下空間」は設計会社からの独自提案だとしてきたが、「都からの要請で提案した」との反論で、あっけなく崩壊。稚拙な隠蔽が次々と暴かれ、都に対する信頼はゼロに限りなく近い状態だろう。

なぜ豊洲市場の地下に、盛り土をせずに「地下空間」を設置したのか?

さまざまな議論がなされているが、「地下空間」を設置したほうが、「工期短縮」「コスト削減」「土壌汚染対策の実効性の担保」といった観点から「盛り土」するよりも優位である、といえる可能性が高い。

では、なぜ、その比較優位な「地下空間」プランを秘密裏に進めたのか?秘密にしなければならない理由は何だったのか?

東京都による内部調査では、技術系職員と事務系職員の縦割り組織のなかで、情報共有がなされずに、空気のように決定されていったと結論付けている。原因は「組織体質の問題」であるとして、責任者を特定させない、隠蔽体質丸出しの報告書となっているが、とても納得できるものではない。

理由は確実にある。地下空間設置を決定した当時の都議会の状況を紐解けば、その理由が見えてくる。

2009年、東京都議会議員選挙では都議会民主党が大躍進し、54議席(定数127名)を獲得。第一会派に躍り出た。「豊洲移転にNO!」を公約として勝利した都議会民主党は、当時の石原知事が決定していた豊洲移転を阻止すべく、議会で攻勢を強めていく。

築地再整備を検討する特別委員会を設置し、豊洲移転の対案として築地での現在地再整備プランを策定。豊洲移転案と築地再整備案を比較検討するという、都議会史上稀にみる激しい論戦が交わされた(民間では当たり前のことだが)。

委員会は怒鳴りあいとヤジの応酬で、一進一退。豊洲移転推進派の自民・公明、現在地再整備派の民主・共産等が、お互いの案の欠点を取り上げあい、激しく批判をしあった。特に、豊洲移転批判の矛先は「土壌汚染対策の実効性」であり、その批判の反論の最たるものが、法で定められている以上の対策である「盛り土をするから安全」というものであった。また、どちらのプランのほうがコストが安く工期が短く済むか、も大きな論点のひとつで、豊洲移転プランはかなり安価なコストで工期も短く設定されていた。

2011年、都議会民主党の議員が切り崩しにあい、怒号飛び交う本会議で、かろうじて1票差で「豊洲市場建設設計予算」が可決。その後、自民党議員の自殺、更なる民主党議員の切り崩しによる造反など、豊洲移転は揺れに揺れて、いつひっくり返ってもおかしくない状況だった。

2011年といえば、報告書によると、6月に地下空間の基本設計が完成し、8月新市場整備部で地下空間設置を確認、9月実施設計の起工と、盛り土をせずに地下空間プランが一気に動いた時期と一致する。

いかに、豊洲市場のコスト削減を図り、工期を短縮するか。盛り土をせずに「地下空間」を設置することは合理的な解答だ。ただし、「盛り土」は土壌汚染対策の中核をなすものとなっており(説明をしており)、これを議会に報告していたらどうなっていたか?

これ幸いと、豊洲移転反対派は息を吹き返し、専門家会議のやり直しを要請。議論は紛糾し、決着まで、さらに長い年月を要することになっただろうことは想像に難くない。場合によっては、豊洲移転がひっくり返ることになったかもしれない。

当時、市場の技術系職員も事務系職員も、議会での議論での矢面に立っていたから、「盛り土」の重要性に対する認識は十二分にあったはずだ。誰かが「これは議会に報告はしない」と決断したのかどうかはわからない。ただ、盛り土しないことを報告すれば、議会での議論が振出しに戻ることもよく理解していただろう。

当時、都庁と都議会を覆っていた張り詰めた空気が、地下空間の隠蔽を生み出した。と私は思う。

少し長くなったので、豊洲問題の解決策について、次回述べていきたい。


編集部より:この記事は、東京都議会議員・柳ヶ瀬裕文氏のオフィシャルブログ 2016年10月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、やながせ裕文オフィシャルブログ「日々是決戦」をご覧ください。