課題は政治の国際化とその「理念」だ

シリアの内戦は5年が過ぎ、米国とロシアが軍事的関与を深めてきている。冷戦時代に恐れられてきた米国とロシアの軍事衝突がシリアで現実化してきている。誰も、どの国もシリアの内戦を終結させる知恵はなく、内戦は泥沼に入ってきた。

アラブで民主化が始まった時、誰が今日のシリアを予想できたろうか。アサド政権は権力を堅持するために国民に対して化学兵器を使用する禁じ手をも躊躇しなくなった。イラクの独裁政権のフセイン大統領はクルド系住民に化学兵器を使用し、国際社会から激しい批判を受けたが、シリアではもはや誰も大きな声を挙げて、アサド政権を批判しなくなった。

シリアの状況は簡単ではない。アサド政権、それを支援するロシアとイラン、それに対して反アサド政権の野党勢力、カリフ制国家の建設を宣言した国際イスラム過激派テロ組織「イスラム国」(IS)、そして民族の独立を夢見るクルド系勢力といった複数の勢力が関与している。誰が内戦の扇動者か次第に不明となってきた。明確なことは、犠牲者はシリアの国民だということだけだ。

内戦を終結させるために、国連、米国、ロシアが交渉を重ね、和平、停戦に合意するが、それが守られたことはなく、停戦合意が破壊される度に、戦いは激しさを増している。
「全ての外国勢力はシリア内戦から手を引け」といった声も出てきている。シリアの和平はシリア人に任せよ、というのだ。この主張は一見、正論だが、果たしてシリア国民に自国の内戦を終結できる力が残っているだろうか。アサド政権の圧政が拡大するだけではないか。

インターネット、ソーシャル・ネットワークが広がってきた現代、情報は急速に広がる。情報を隠蔽することももはや昔のようにはいかない。21世紀はグローバリゼーションの時代であり、それに逆行することはもはや考えられない。

世界は社会のグローバル化を歓迎し、人々は国境のない自由を享受したが、ここにきてその“疲れ”が見えてきた。特に、欧州社会では昨年、シリア、イラク、アフガニスタンなどから100万人を超える難民が殺到し、収容問題で加盟国内で混乱、対立した。欧州連合(EU)の本部ブリュッセルが計画した難民受け入れ分割案に対し、反対の声が高まってきた。欧州各地でポピュリストが台頭し、民族主義、自国ファーストの政策はグローバリゼーションに疲れた国民の心を捉えてきた。欧州国民は大きな世界から昔親しんだ小さな世界に郷愁を感じだしているのだ。

独週刊誌シュピーゲル(10月8日号)の社説は「政治(家)の国際化の遅れが現在の混乱の主因」と述べている。国連を含む国際機関、政治機関では依然、加盟国の国益優先主義が強く、外交は国益の争奪戦の様相を深めている。社会、経済、文化はグローバルとなってきたが、政治は依然国際化していないという指摘は正しいだろう。
特に、世界の平和実現を憲章に明記する国連は5カ国の安保理常任理事国が有する拒否権の前に何もできないでいる。シリアの和平が進まないのは安保理常任理事国が大きな障害となっているからだ。

それでは、政治の国際化は如何にして促進できるかだ。国連の場合、安保理改革はその一つだ。政治には理念、信条が大切だ。民族、宗教、文化の違いを内包し、それを昇華できる政治理念が本来、不可欠だ。ケリー米国務長官とロシアのラブロフ外相が自国の利益にとらわれず、シリアの和平実現のために汗を流させる政治理念だ。

それでは具体的にはどのような理念が考えられるだろうか。一つだけ例を挙げる。スイスの世界的神学者、ハンス・キュンク教授は1993年、「世界のエトス」を提案している。「世界のエトス」とは、世界の宗教、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教などに含まれている共通の倫理をスタンダード化したものだ(「『経済エトス』の確立を」2009年10月12日参考)。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年10月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。