生前退位の「生前」は余分な言葉

中村 仁

天皇陛下の退位を巡る表現のあり方が問われている(宮内庁サイトより:編集部)

メディアは「退位」で統一しては

天皇陛下の「生前退位」に関する有識者会議が始まり、メディアを賑わしています。NHKが7月に「天皇が生前退位の意向で」と特報して以来、「生前退位」という表現に違和感を持つ人は多くはいなかったはずです。これに対し、皇后陛下が誕生日のお言葉で「新聞一面で生前退位という大きな活字を見たときの衝撃は大きかった」(10月20日)と述べられました。

それ以来、「生前退位」という表現が気になってしょうがなくなりました。そんな皇后の気持ちを知ると、わざわざ「生前」と言わず、「退位」という表現だけで十分ではないか、私は思うようになりました。

皇后の異例のお言葉にぎょっとした

「生前退位」という言葉は「健康なうちに天皇の座から退位する」ということです。皇位の継承は「天皇が崩じたときは、皇嗣(世継ぎ)が直ちに即位する」(皇室典範)と規定していますから、それと区別する意味で「生前退位」といっても、間違いではありません。一方、皇后からみると、「歴史の書物の中でもこうした表現に接したことは一度もなかった。驚きと痛みを覚えた」と言います。そうまではっきりおっしゃるのはよほどのことで、異例です。

天皇家や宮内庁関係者の内輪のやり取りでは、「譲位」という表現を使ってきたとかの解説がありました。皇后は恐らく「譲位」という表現がメディアでは使われると、思っていたのかもしれません。皇室典範にも、「生前退位」の規定がありませんし、さらに身内からすると、「わざわざ生前と言わなくても」という気持ちでしょう。文学、詩、音楽にも通じている皇后らしい感性ともいえます。

堅苦しいことを言えば、「退位」があって、次に「譲位」となり、世継ぎが「即位」するという流れなのでしょう。「退位」も「譲位」も「即位」も一体でしょう。ただし、天皇の側から「譲位」というと、天皇の意向で皇太子に座を譲るという主体的な意味が含まれ、天皇の政治的行為となってしまう。ですから「譲位」という表現は、時と場合によっては避けたほうがいいかもしれません。

意識して使い分ける新聞も

新聞の表現をみますと、朝日新聞(10月18日)は「天皇はいつから退位を考えていたのか」の有識者会議の解説記事で、もっぱら「退位」と表現し、「生前退位」と区別する意識を感じさせます。さらに「譲位」は「天皇の務めを果たせなくなる前に譲位すべきと思う」(内輪での天皇の発言)など、主として天皇の発言として使っています。読売新聞は「生前退位のご意向を踏まえ」(同日の社説)と、なんども「生前退位」と表現しています。果たしてどちらがいいのか。

元官房副長官を7年も務め、7人の首相に仕えた石原信雄氏は、新聞のインタビュー記事(10月14日)では、意識しての上でしょう、「退位」で通しています。政治、行政の裏を知り尽くしていますからね。NHKの記者に情報を提供した宮内庁高官は「生前退位」ではなく、「譲位」と表現したとの説もあります。NHK側が「譲位」よりも「生前退位」が分かりやすいと考え、多くの新聞、テレビが右へならえをしたのでしょう。

ちょうどそのころ、新聞協会主催の新聞大会があり、恒例の新聞協会賞には、NHKの特報が選ばれました。授賞理由には「天皇が生前退位の意向を宮内庁関係者に示し、調整が進められていることを特報した」とあり、新聞協会も「生前退位」ですね。これから何度も何度も退位問題を報道することになりますし、メディア各社は早めに「退位」で統一しておいたほうがいいように思います。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2016年10月25日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像はNNNニュースより)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。