民進党は「原口党首」以外に復活の芽はない --- 山田 高明

寄稿

ウィキペディア「原口一博」より

蓮舫氏は二重国籍問題とその対応をめぐって政治家としての資格や人格が問われているが、私は一番の問題は「無能」であることだと思う。例えは悪いかもしれないが、政治家はどれだけダーティであっても、その地位にふさわしいだけの能さえあれば、ほとんどの有権者はやってもらおうかという気になる。

ところが、せっかく最大野党の党首になったのに、蓮舫氏がやっていることといえば、安倍政権の大臣の発言が過去と食い違っているとか、失言したとか、そんなマイナーミスの追及ばかりだ。有権者にしてみれば「だからなんだ?」(so what!?)という話である。

来年、ヒラリー・クリントンが大統領に就任すると、朝鮮半島で戦争が始まり、日本が巻き込まれる――しかも核攻撃を受ける――可能性があるというのに、一政党の党首がこんなくだらない議論をしている場合だろうか。

こういう本質的にはどうでもいい批判のことを、揚げ足取りという。それはたいてい、他人に対して優位な立場に立ちたいという欲求や自己満足などの動機からくる行為だ。こんなことをいくらやっても、政治家の評価は上がらないし、人心も離れていく。

いつしか政治の世界ではそれが当たり前になってしまっているが、民間企業でも、役人の組織でも、既存の方針や執行内容、他人のアイデアに対して、ただケチだけつけて自分では何の建設的な提案もしない者は誰からも相手にされないし、出世もできない。

対して、安倍政権のほうは、正しいか否かは置いておいて、曲りなりにも「政策」を掲げ、それを実行している。それについて揚げ足を取るのは誰でもできるが、難しいのはそれよりも優れた政策を自ら考え、提案することである。

かつて民進党自身が政権をとれた理由をよく振り返ってみるべきだ。必ずしも自民党側の失点だけでなく、当時民主党のまだ若い政治家たちが政策を打ち出したことが有権者に好感を持たれた。当時はとにかく自ら政策を考え、訴えるという姿勢だけはあった。その結果、有権者は「何か変わるんじゃないか」と錯覚させられ、後から「マニフェスト詐欺ではないか」などと言われたが、高校無償化などの政策は今でも生きている。

私も「アゴラ」で度々つまらない提案をさせてもらっているが、面白いことに「何でもいいから自分独自のアイデアを出す」という行為に対して、必ず好意的な反応がある。むろん批判もくる。ただ建設的な批判もまた中身に対する一つの評価である。「おまえは回し者だろう」という人身攻撃も来るが、そういうのは当人の卑劣な人格を他者に投影しているに過ぎないと人々から見抜かれて、当人のマイナス評価となって跳ね返るだけだ。

だから民進党は、これから有権者の支持を増やしたいのであれば、どうでもいい揚げ足取りは金輪際やめるべきだ。そして、「私たちはこんな政策を提案する。これは自民党の○○よりもこれだけ優れている」と、国民に対して直接訴えかけていくべきだ。そうやって自分たち自身のアイデアを出していけば、世間の評価も必ず好転していくだろう。

しかしながら、蓮舫氏には荷が重過ぎるのではないだろうか。彼女は社内政治と国政の区別がついていないようだ。無能という点では、岡田克也氏も同じ欠点を抱えている。

仮に民進党を政策立案・対案提案型野党に導くことのできる人物がいるとすれば、思い浮かぶ人物はたった一人しかない。それは原口一博(はらぐち かずひろ)氏である。

おそらく、原口氏ならば「政策馬鹿」とか「対案キチ」と揶揄されるくらいの党首になれる可能性がある。

蓮舫氏は一刻も早く引責辞任し、原口氏に後継を譲ったほうがいい。

(フリーランスライター・山田高明 個人ブログ「フリー座」