独でイスラム教徒の大統領が出現?

長谷川 良

仏人気作家ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)氏の近未来小説「服従」のストーリーが現実味を帯びてくるかもしれない。2022年の大統領選でイスラム教徒の大統領候補者が当選するというウエルベック氏の小説の内容がフランスではなく、それに先駆けドイツで実現するかもしれないという話だ。

▲イラン系ドイツ人作家ケルマニ氏(「ドイツ出版協会平和賞」の公式サイトから)

▲イラン系ドイツ人作家ケルマニ氏(「ドイツ出版協会平和賞」の公式サイトから)

ただし、ドイツでは大統領は名誉職的立場であり、大統領に大きな権限があるフランスとは異なる。その選出方法もドイツの場合、連邦議会と16の州議会から比例代表で選出された代表によって選出される。国民の直接投票ではない。議会政党が有力候補者を擁立し、投票で過半数を獲得した候補者が選出される。過半数獲得した候補者がない場合、投票を繰り返し、3回目は最高得票者が当選する仕組みだ。

その意味から、ドイツでイスラム教徒の大統領が誕生したとしても、フランスのような大騒ぎとはならないだろう。ドイツの場合、国民の代表であり、国家の危機の時には大局的な立場からアドバイスを発する立場だ。連邦大統領に欠かせられない資質は演説が上手くなければならないことだ。ヨアヒム・ガウク現大統領も牧師出身の名演説家で知られている。「過去に目を閉じる者は、現在に対してもやはり盲目となる」という有名な言葉を語ったリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(任期1984~1994年)は代表的な名演説家の大統領だった。

ところで、バイエルン州オーバーフランケン行政管区のバンベルグのルドヴィク・シック大司教(Ludwig Schick )は先月29日、「作家のNavid Kermani 氏のような人物ならば、彼がイスラム教徒でも問題はない」と発言して注目された。独カトリック教会の高位聖職者がイスラム教出身の連邦大統領を受け入れると述べたのだ。
シック大司教が言及したイスラム教徒とは、著名な作家ナビト・ケルマニ(Navid Kermani) 氏(49)だ。同氏の両親は1959年、イランからドイツに移住。本人は67年、独ノルトライン=ヴェストファーレン州ジーゲン市で生まれ、ドイツとイランの2重国籍を持つ。ケルマン氏の名前は、健康を理由に再選断念を声明したガウク現大統領(76)の後任候補者の一人に挙がっているという。

もちろん、次期大統領候補者としては、ケルマニ氏のほか、ノルベルト・ランメルト連邦議会議長(「キリスト教民主同盟」=CDU)、ヴォルフガング・ショイブレ財務相(CDU)、ウルズラ・フォン・デア・ライエン国防相(CDU)、そしてフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー外相(SPD)らの名前が挙がっている。
新大統領選出は来年2月12日に実施されるが、同年9月には連邦議会選挙が実施される。それだけに、誰が大統領府(ベルヴユー宮)の主人に選出されるかは次期総選挙に影響を与えると予測されている。
イスラム教徒のケルマニ氏の選出チャンスを考えるために、ドイツの宗教事情を少し振り返ってみる。ドイツのローマ・カトリック教会司教会議が発行したパンフレット「ドイツのカトリック教会」の最新版(2011/12年)によると、約8100万人のドイツ国民のうち、カトリック教徒は2460万人、プロテスタント信者約2390万人、新教独立派約33万人、正教徒約130万人だ。ドイツ社会の約61%はキリスト教徒であり、約39%は無宗派か他宗教の信者だ。キリスト教と同様、唯一神を信じるイスラム教徒は約400万人、ユダヤ教徒は約10万3000人だ。

ビルド日曜版(10月30日)が先月27日に実施した世論調査によれば、「ドイツ社会はキリスト教価値観に裏付けられているか」との質問に対し、返答者の59%は「全く関係がない」か、「わずかかしか基づいていない」と答え、「ドイツ社会をキリスト教価値観に裏付けされた社会」と考えているのは36%だった。

まとめる。シリア、イランなど中東から多数の難民が殺到しているドイツではイスラム教に対するフォビア(嫌悪)が広がってきている。ドイツ生まれとはいえ、イスラム教徒のケルマニ氏がドイツ連邦大統領に選出される可能性は現時点では少ないが、まったく皆無とはいえないだろう。大統領職ではないが、ロンドン市長に今年5月、パキスタン系のイスラム教徒サディク・カーン氏が当選している。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年11月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。