きのうのJBpressにも書いたように、日銀の黒田総裁は事実上の敗北宣言を出したが、これは彼のもっとむずかしい戦いの始まりだ。山本五十六も真珠湾では成功したが、ミッドウェーで敗れ、ガダルカナルでは惨敗した。いったん上がり始めたように見える物価が、その後はまた下がって来たのはなぜだろうか。
次の図のように、黒田氏の登場した2013年の初めから、急速なドル高(円安)が始まった。これは外為相場の世界的な要因が大きいが、彼の「2年で2倍」という大胆な方針が市場に「期待」をもたせた要因もあるだろう。そこから半年ぐらい遅れて2014年後半から物価が上がり始め、コアCPI上昇率は1.4%まで上がった。
企業物価指数と為替レート(右軸)出所:日銀
ところがその後、物価は上がらなくなり、2015年後半から下がり始めた。最近はコアCPIでみると-0.5%ぐらいが続いている。この原因は単純である。2014年のインフレはドル高によるコスト・プッシュの輸入インフレであり、ドル高が半年遅れで物価に影響しただけだ。そして為替レートが1ドル120円台で落ち着くと、物価も上がらなくなった。
インフレというのは、財市場の需給関係によって一定の変化率で物価が上がることだが、為替相場はストックの市場だから、為替が一定の水準に達すると、変化率はゼロになる。黒田総裁の冒険的な政策は、ストックの資産価格にはきいたが、フローの財市場にはきかなかったので、ストック価格が下がると物価も下がって来たのだ。
黒田氏は「円高ファイター」としての成功体験で、当局がストック市場に影響を与える力は知っていたと思われるが、フローの市場では水準が上がるだけではなく、物価が上がり続けなければいけない。そういう現象が起こるには経済が成長して需要がつねに供給を上回る必要があり、人口減少の日本経済では無理だ。
理論的には、日本経済がコーディネーションの失敗で局所最適に陥っていて、「期待」を変えると全体最適にジャンプする可能性もある。株式市場ではそういう現象が起こったが、財市場では起こらなかった。潜在成長率も需給ギャップもほぼゼロになっているので、いま以上の全体最適は存在しないのだ。
そんなわけでアベノミクスには何の効果もなく、物価水準は白川総裁の時代に戻り、400兆円以上に膨張したマネタリーベースだけが残った。黒田総裁があと1年半で、これを正常化するのは困難だろう。かといって新総裁が急に撤退すると、市場が国債を売り浴びせて危ない。黒田総裁を再任して、火遊びの後始末は彼自身がやったほうがいい。
山本五十六は真珠湾作戦には勝ったが、戦争には負けた。そもそも太平洋戦争には目的がなく、どうやって勝つのかという戦略もなかった。短期決戦でいくら勝っても、長期戦に勝つことはできない。戦略の失敗を戦術で補うことはできず、戦術の失敗を戦闘で補うことはできないのだ。