いじめが、悪いことであることは、小学生でもわかっている。問題は、なぜ悪いことなのか、その理由が理解できていないことにある。恐らく、理由をたずねれば、「かわいそうだから」と異口同音に口にする人が多いはずだ。
実は非常に分かりやすい回答があるのでそれを紹介したい。『考える力を育てる 子どもの「なぜ」の答え方』の著者であり、浄土真宗本願寺派僧侶、保護司、日本空手道「昇空館」館長も務める、向谷匡史(以下、向谷)氏の見解である。
■「かわいそう」は傍観者の立場
――「かわいそうだから」という気持ちは大切ではあるが、このような同情の心は“上から目線”ではないかと思う。向谷は、「自分は、いじめられる側の人間ではない」という立ち位置にあって初めて、「かわいそう」という気持ちが起こると述べている。ややもすると傍観者の立場になるので留意すべきであるとのことだ。
「私は、もう一歩踏み込んで、『自分がいじめられたくないから、人をいじめてはならない』と、わが身に引き寄せた答えを口にします。私の道場に、運動神経が極端に鈍い小学生のA君がいたときのことです。子どもたちに悪気はないのですが、A君が演武するとクスクスと笑いが起こります。これは、形を変えたいじめですね。」(向谷)
――「笑うんじゃない!」と叱責したのでは、嘲笑を威圧によって封じ込めただけであって、何の解決にもならない。そこで、向谷は、こう問いかけたとのことだ。
「いま笑った人のなかで、試合のチャンピオンになったことのある者は手を挙げろ。いません。じゃ、自分は上手だと思う者は手を挙げろ。これもいません。いいかい、上手な子から見たらキミたちは下手で、笑いたくなる。上手な子も、チャンピオンから見ればやっぱり下手だ。」(向谷)
「でも、チャンピオンは笑ったりしない。自分より上手な選手や強い選手がたくさんいることを知っているからなんだ。笑われると嫌な気持ちになる。そのことを知っているから、自分より下の選手のことも笑わない。」(同)
――このような話を展開していくそうだ。そのうえで、いじめる子も、環境や組織が変われば、いじめられる側にもなるということ。今日はいじめる側でも、明日はいじめられる側になってしまうかもしれないという話をする。さらに、向谷は次のように続ける。
「正直言って、いじめはなくなりません。『いじめは悪いことだ』と説き、いじめ根絶に向けて努力することはもちろん大切ですが、誤解を恐れずに言えば、それは《百年河清を僕つ)ことに等しいと思います。」(向谷)
この故事は、常に濁っている中国の黄河を引き合いにして、水が澄かのを待つということから転じて、あてのないことを空しく待つことの例えとして用いられる。そして、いじめも同じであると。
■「いじめ」から守る最善の方法とは
「人間が集う組織においては優劣が常に介在する以上、いじめは決してなくなりはしません。私は『なぜ、いじめてはいけないのか』という問いに対して。その理由を答えると同時に、『いじめに負けない強い人間になること』と、ハッパをかけます。」(向谷)
「『いじめに負けない』には二つの意味があります。一つは、『いじめられても、負けない強い心を持て』ということと、『いじめの対象にならない、強い力を持て』という二つの意味になります。」(同)
――心と力。心身をいかにして鍛えさせるか。これこそ、いじめからわが子を守る最善にして手っ取り早い方法だと向谷は述べている。
「乱暴に聞こえるかもしれませんが、『なぜ、いじめるか』『なぜ、いじめてはいけないか』という理屈だけをこねていては、いじめは決して緩和されることはないでしょう。現実として、いかに対応していくかということも、キモに銘じておく必要があるのではないでしょうか。」(向谷)
本書は、子供向け教育に書き上げられたものだが、ケースにリアリティがあることから大人にもお勧めできる。上司のコネタとしても役立ちそうだ。多くのケースを理解することで物事の正しい道筋を見つけられるかもしれない。
尾藤克之
コラムニスト
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