サウジの石油王として過ごしたナイミとの昼食

今年5月に引退したアル・ナイミ前サウジ石油相の自叙伝が出版された。原油価格を奈落の底に引きずり下ろすこととなった2014年11月末のOPEC総会での「シェア維持」決定の背後に何があったのか、きっと書いてあるだろうと思ってすぐにアマゾンで予約をした。来年1月配本ということで待っているところだが、すでにKindle版では発表されており、ハードカバーも英米では読まれているそうだ。じりじりする気持ちが募るが、ここは待っているしかない。

と、思っていたら、先週末の “Lunch with FT” にアル・ナイミが登場し、FTの副編集長Ms. Raula Khalatとカジュアルにもろもろのことを語っているのを発見した。11月18日の “Ali al-Naimi on two decades as Saudi oil king” という記事だ。

ナイミは前菜にイエローテールの刺身、メインにドーバーソールを選んだ、など楽しいエピソードが満載だが、ここでは、字数制限もあるので、興味深いテーマに絞って、次のとおり紹介しておこう。

・書き出しは、ナイミの生い立ちから始まる。ナイミはノマド(放牧民)の子供として建国間もない1935年にサウジの東部で生まれた。ナイミの母(バハレーンの出身)たちは白いラクダに乗っていたが、今の女性たちはトラックや自動車を運転している。国として女性の運転は禁止しているのだが、遠隔の砂漠地帯には目が届かない。ナイミはいう、「その昔、女性たちがラクダに乗っているのをよく見たものだ。今では、女性たちはラクダを乗せたトヨタを運転しているよ」

・2014年11月の戦略の論理について、ナイミは次のようにいう、「あの時、サウジが生産削減に合意していたとしたら、馬鹿げた(stupid)ことだっただろう」「非OPECの原油がもっと市場に流れ込んできただろう。他に選択肢は無かったのだ」

・ナイミの自叙伝がこのエピソードで終わっているのは何故か、と尋ねたら、関係者や事件については次の本で書くつもりだ、と冗談っぽく言い、少々真面目に「それからはもっと悪くなった」ことを知っているからだ、と答えた。

・自叙伝にも書かれているが、ナイミはザキ・ヤマニ元石油相の失敗(80年代半ばに、アラスカや北海やメキシコなどの新規生産が拡大している中でシェア奪回を試み、油価の大暴落=逆オイルショック=を招き、自らも失脚したこと)に学び、別の戦略を採用したが、この戦略が計算違いだったと歴史が証明することになるのだろうか。

・後任のファーリハ・エネルギー相は逆戻りをしようとしているのかもしれない。

・あの判断は「絶対に正しい」と主張するナイミの言葉にはいささかもためらいはない。「私は(シェールを)追い出すと考えたことも、言ったこともない。私が言ったのは、我々は市場シェアを失いたくない。価格は市場に決めさせよう、ということだ」「今日の状況で、価格に影響を与えようとする人、あるいは国は、どこかおかしい(out of mind)」「どうして逆のことをしたいのか分からない。価格が上がれば、間違いなく原油がもっと市場に溢れ出し、OPECはさらに(市場)シェアを失うだけだ」

・OPECにはいつもフラストレーションを感じていた。1995年、ナイミが初めて参加したとき「10時に始まることになっていたので、5分前に到着した。私は待った。さらに待った。もっと待った。11時になってもほとんど誰も現れない。12時10分前になって、大臣たちが到着し始め、会議が始まった。私は手を挙げて、発言した。もし皆さんが12時に始めたいのなら、12時集合と言ってください。それから皆が時間を守るようになった」。彼はさらにいう、「OPECの大臣たちの中には、まったく準備をしてこない者もいる。事実を把握していない者もいる。スタッフを連れてこない、あるいはまったく能力の無いスタッフと連れてくる者もいる」

・ナイミは、自叙伝の中では、フィナンシャル危機のとき、減産の約束を守らなかったといして、非OPECのロシアを最も痛烈に批判している。

・過去2年間の経験から、OPECは目的を失っているのでは、と聞くと「いや、そういうことはない」という。「他に仕事をする組織はないから。2014年前まではうまくいっていた。2014年には皆がエクスキューズをもっていた」

・驚いたことにナイミは、化石燃料は長期的に生き残ると信じている。技術が排出ガスの削減方法を見つける、再生可能エネルギーは途上国にとって高価すぎる、と。「排出ガスとは戦おう、だが化石燃料とではない。我々には頭脳と技術があるから、排出ガスはマネージできる」

・化石燃料の時代は終わる、と多くの参加者がいるコンフェランスでのエピソードをここでも語った、「私は手を挙げて言ったんだ、皆さん、あなた方の言うことはよく分かった、私はサウジに戻り、石油の井戸をすべて閉めます。そうしたら皆がいっせいに言うんだ、ノー、ノー、ノー」

・MBSが主導する脱石油化の動きについて、過去20年間に何度も試みられがた、今度は信用できる(credible)だろうか、と聞くと、石油価格を見ていなさい、とナイミは応えた。価格が落ち込めば、サウジは行動する、上昇すると、「リラックスする」と。「一番大事なことは、おしゃべりを止めて行動することだ」「今、我々は行動している、と思う」

・保守的なワッハーブ聖職者について聞くと、ナイミはもう一度歴史を語り、1979年のイラン革命でシャーが倒れたときのサウジの反応は「聖人ぶった人になること(become holier than thou)」だった、という。社会生活の規範に関する権威を聖職者に持たせているが、サウド王家支配と聖職者との契約はいまやすりきれている、女性が運転することの大きな妨げだった王家の長老たちは最近亡くなりつつある、と。ナイミは5人の孫娘たちに「卒業するまで結婚しないようにと言っている」という。「世界は変化しつつある。我々も変化していこう」と。

早く自叙伝が読みたいなぁ


編集部より:この記事は「岩瀬昇のエネルギーブログ」2016年11月24日のブログより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はこちらをご覧ください。