人間の本性を巡って、昔から「羊説」と「狼説」が対立しています。代表的なのは、拙著「13歳からの法学部入門」(幻冬舎新書)でご紹介した、ロックとホッブスと対立です。ロックは法律なんてなくても人間は仲良くやっていけると説くのに対し、ホッブスは法律がなければ「万人の万人に対する戦い」が起こってしまうと説きます。性善説と性悪説の対立も同じようなものでありましょう。
私は、人間には二面性があり、羊と狼の両方の顔を持っていると考えます。
「他人の役に立っている」という気持は人間を大いに奮い立たせ、時として火事場の馬鹿力すら出させてしまいます。アメリカの消防士を調査したところ、「人の役に立ちたい」という気持があり仕事を楽しんでいる消防士たちは、平均より50%以上残業して仕事に取り励んでいるそうです。日本でも医療従事者、警察官、消防士などはとてもキツイ労働条件下でも頑張っている人達が多いと感じます。いろいろと非難されることの多い政治家も、人の役に立ちたいという使命感を持っているからこそ365日無休で働けるのでしょう。
逆に、後ろ向きの仕事をしていると、頑張りが効かなくなって心身を壊してしまう人がたくさんいます。長銀破綻前は、一夜にして髪が白髪になってしまった元同期の男性がいました。毎日深夜残業をしてタクシーで自宅に帰っていたところ、ある晩、自宅の前にタクシーが停まった時には既に亡くなっていた人もいたそうです。タクシーの中での最後の言葉は「疲れた…」とのことでした(涙)
このように、人の役に立っているという実感が得られると、人間は前向きになり仕事でもかなり無理が効きます。逆に、後ろ向きの仕事をしているとすぐに心身を悪くするケースが多いですね。この事実は、人間が、人の役に立ちたいという「羊の顔」を持っていることを如実に証明しているのではないでしょうか?
ところが、人間社会には、多人数で一人をイジメたり、体力の圧倒的な違いを武器にして弱いものをイジメる輩がたくさんいます。絶対に勝てる相手をいたぶるというのは卑怯極まりないのですが、少なからぬ人間が卑怯な行為に手を染めているのです。
最もひどいのは児童虐待です。大人が二人がかりで幼い子供を虐待するというのは、体力が圧倒的に勝る者たちが複数で圧倒的に弱い者に対して暴力を振るうのですから、まさに卑怯・卑劣の極みです。児童虐待とまではいかなくとも、学校や職場などで、多人数で一人をイジメるのは日常茶飯事的に見かけます。
このように、人間は卑怯・卑劣な「狼の顔」も持っているのです。
両方の顔を使い分けている人間の典型がDVの加害者です。DV加害者の8割くらいは公務員や銀行員といった世間的に見て堅い仕事に就いており、飲酒運転はおろか速度違反もせず、仕事も真面目という人が多いのです。ところが家の中に一歩入ると、妻子に対して暴力や暴言を振るいまくって心身に甚大なダメージを与えてうのです。家の外ではジキル博士、家の中ではハイドに変身するのです。
男を虜にしてしまう女性も、極端な二面性を持っている人が多いようです。聖女の顔と娼婦の顔とでも言いましょうか…。この二面性を発揮すると、客観的にはさしたる美女でもないのに(醜女の場合もあります)男をメロメロにしてしまうケースが多いのです。かつての依頼者の中に、そのような女性の虜になって仕事も家庭も捨ててしまった男性がいました。私の見た印象では「太った図太そうな中年女性」の虜になって全てを捨ててしまいました。
もっとも、服装や立ち居振る舞いは極めて清楚な女性でした。彼が言うには「セックスがとてつもない」とのことでした。普段の清楚な立ち居振る舞いと「とてつもないセックスをする」娼婦の二面性が彼を捉えたのでしょう。常に清楚であってもダメ。常に娼婦であってもダメ。二面性を持っていることが重大なポイントのようです。
このように、「羊顔」と「狼顔」に限らず、多くの人間は何らかの意味で二面性を有しています。DV加害者のように二面性が危険になるケースもあれば、男を虜にする女性のように魅力になるケースもあるのでしょう。
さて、あなたの近くにいる人の二面性は一体何でしょうか? 聖女と娼婦?騎士と狼? 羊と豚?…^_^;
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2016年11月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。