徳(德)という字は、行人偏(彳)と直と心に分解されます。「直(なお)き心で行う」ということで、一つの真実の心と言えましょう。自分が徳というふうに認識しなくても、そういう真心というものを大切に思い、他者をどうやって幸せにするかを第一に考えるということです。
また「徳は得なり」といって人間誰もが、生まれながらにして天から授けられた、人間の側からすると「得」なものとされています。全ての人に天命によって与えられている此の徳性は良心と呼んで良いと思います。人間が不朽の価値を持つためには、此の徳性すなわち良心を天の意のままに実践して行かなくてはならないのです。そのために具体的にどうすべきかについて次に触れておきます。
「あの人は立派だ」と言う時に、人は前記した徳性により認識します。認識は出来ても、自分もそのような人物になりたいと思っても、そう簡単には行かないのです。「技術は教えることができるし、習うこともできる。けれども、徳は教えることも習うこともできない」と松下幸之助さんも言われる通り、「徳を高めるコツ」など有り得ません。
所謂HOW TOものとは対照的に徳を身に付けるとは、最小の努力で最大の効果を得るといった類とは掛け離れています。徳を身に付けるのは修養に尽きるのであってコツなど有り得るはずもなく、自己向上への努力を惜しまず死ぬまで続けねばならないものです。
石田梅岩先生は「徳とは、心で会得し、それを実践すること」だとして「己の欲せざる所、人に施すこと勿(なか)れ」(衛霊公第十五の二十四)と言われています。正にその通りで、真心で知行合一的に事上磨錬し続けて行くことが何もよりも大事だと思います。
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