バブルは珍しいものではない。世界的には、10年に1回ぐらいどこかで起こっている。問題はそれが何度くり返されても、誰もが「今度は違う」と思い、その処理が遅れることだ。本書はバブルの記録としては表面的で凡庸だが、その張本人だった日経新聞に自覚がなかったことをよく示している。
公平のためにいうと、第2章に「財テク」という言葉を1983年につくったのが日経証券部で、そのとき著者も所属していたことは4行だけ書いてあるが、日経の責任はそんなものではない。「ストック経済」やら「内需株」やら新しいキャッチフレーズを作り出し、野村証券と一緒にバブル相場を盛り上げたのだ。
私も当時はバブルをあおる番組をつくったことがあるが、そのスピードにはついて行けなかった。むしろNHKは1987年から「土地はだれのものか」というシリーズで「地価上昇を国土法で統制せよ」というキャンペーンを張り、バブルが首都圏から関西に波及する原因をつくった(私は反対したが)。
最大の岐路は、1992年8月に宮沢首相が銀行に資本注入しようとして大蔵省に阻止されたことだったが、大塚将司記者も認めるように、そのときもっとも強硬に反対したのが日経だった。財界の機関紙が「公的資金投入の前に銀行が自己責任をとれ」というキャンペーンを張ったのだから、他のマスコミも追随した。
日銀も利下げに転じるのが遅れて金融危機を増幅する結果になったが、日経は三重野総裁を「平成の鬼平」と応援した。それはバブルをつくった自責の念だったのかもしれないが、戦争をあおった朝日新聞が戦後は平和ボケになったように、日経は二重に罪をおかしたのだ。
著者はバブルをつくった日経の責任は認めるが、大蔵省や日銀のバブルつぶしを応援した責任には気づいていない。そしてバブルは必ず崩壊する。10年以内に国債バブルが崩壊する確率はほぼ1である。それは90年代より1桁大きく、誰も予想しなかった形でやってくるだろう。そのとき危険なのは、日経のように近視眼的な「正義感」なのだ。