ロボットでも神でもない日本の象徴・天皇陛下の退位問題を考える視点

早川 忠孝
天皇陛下@熊本視察

陛下のお言葉に勇気づけられた大災害の被災者は数え切れない(今年5月の熊本で。宮内庁サイトより:編集部)

天皇ロボット論なる憲法学説があったということを最近知った。

まさか憲法の学者が天皇をロボットだなどと極め付けるような物言いなどするはずもない、と思っていたのだが、法律の議論をとことん突き詰めるとそういう物言いをするような偉い学者の先生方が現れるようだ。

あくまで天皇の果たす機能なり役割を考えると天皇に期待されているのはその程度の役割で、自分で自由に動き回ることが出来ない存在だ、ということを特別の意味を付与しないで端的に表現するとロボットだ、ということなのだろう。

まあ、天皇機関説の変形みたいなものである。

天皇は憲法が定める国事行為しか出来ない、天皇は存在するだけでいい、天皇が憲法に定める国事行為を遂行できない状況になったら摂政を置けばいい、その場合、天皇は何もしなくていい、それが天皇という存在だ、ぐらいの、実に血が通わない、冷徹な考えである。

天皇が神ではないことは周りの人には分かり切ったことだったろうが、しかし戦前は天皇が神格化されており、天皇の人間宣言がないと多くの日本国民は天皇を神のように崇めたままだったろう。

しかし、天皇が神でないことは天皇ご本人がよく知っていた。
皇室の人たちも当然知っていた。
時の政権に天皇を神のように扱う人たちがいたから、天皇は神のように振舞い、一般に神に期待される役割を演じてきたということだろう。

天皇の譲位(生前退位)問題は、憲法の改正と同じ程度に重要な問題だろうと思っている。
議論すればするほど深みに入っていくような難しい問題である。
扱い方を間違えれば百家争鳴、いつまでも議論が収束せず、事態が収拾できなくなることは必至である。

ここは、有識者会議の皆さんがバッサリと議論を収束させる時である。
天皇ロボット論のような議論を展開される専門家の議論は、この際無視されることだ。

天皇は、ロボットでも神でもない。
天皇は日本の象徴であるが、しかし生身の人間だ、ということをよくよく考えて結論を出されることである。

そういうことを一番考えておられるのが今上天皇だということが段々分かってきた。

今上天皇のご希望やお考えを無視してしまうのも日本の制度としてはあり、と言わざるを得ないが、どうやら日本における象徴天皇の在り方を長年、深く考えてこられた第一人者は今上天皇なのだから、今上天皇のご意向を端から無視してしまうのはもったいないことだ。

先日お亡くなりになった三笠宮も日本の象徴天皇制の在り方について深く思索されていたことが明らかになった。
ブロゴスに掲載されている成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科准教授の森 暢平氏の一文(文藝春秋に掲載された論稿を転載したもの)を読んで、ようやく象徴天皇制の下での天皇の譲位(生前退位)問題の解決の糸口が見えてきたような気がしている。

改めて申し上げておく。
天皇は、ロボットではない。勿論、神でもない。
天皇には人権がない、などという議論はこの際、無視されることだ。

天皇は、天皇という人間である。
もっと自由な存在であっていい。

参考:「七十年前、皇族自ら皇室典範を論じた意見書が提出された。退位論議が進む今こそ読まれるべき、貴重な提言」という森 暢平 成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科准教授の論稿抜粋

三笠宮崇仁親王が10月27日に逝去した。その際、いくつかのメディアが紹介したのが、「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」と題された意見書であった。今から70年前の1946(昭和21)年11月3日。三笠宮が、新しく制定される皇室典範について意見を述べるために枢密院に提出したものである。私は2003年、この意見書が大阪府公文書館に秘蔵されていたのを発掘した。そこには、いままさに議論の的になっている天皇の退位も論じられている。「天皇に……『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法十八条の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか」。政府案の全否定である。三笠宮がこのように政府を強く批判したのにはどのような背景があるのだろうか。

戦後の皇室典範は1946年7月11日、臨時法制調査会で審議が始まった。その3週間前、帝国憲法改正案が帝国議会に提出され、基本的人権の尊重、自由権、平等権が明文化されることを前提に議論が開始されていた。皇室典範議論のポイントは、憲法の原則を、皇室典範にどう盛り込むのかという点になる。具体的には女性天皇と生前退位が争点として想定された。

たとえば、調査会幹事で外務省条約局長であった萩原徹は「(憲法草案に)男女同権の規定があるからと云つて女帝を認める必要はない……(皇室典範は)日本の根本的な規定であり従つて日本の伝統的な考へ方を入れて作らるべきであるから退位の規定の如きを設ける必要はない」と書いている(「皇室典範改正に関する私見」46年7月15日)。一般に官僚出身の委員・幹事は、戦前の皇室制度の骨格を残したままの新皇室典範を構想したのである。ところが、法制調査会のなかの学界出身委員は違う意見であった。東京帝大の宮沢俊義(憲法学)は女性天皇を認めたうえで、退位についても「天皇はその志望により国会の承認を経て退位するを認める」と主張した(「皇室典範に関して」46年7月)。

ここで退位をめぐる厳しい論争になる。話は、退位一般であるが、さらに「昭和天皇が退位すべき」という現実の道義論が重なり、議論はややこしくなる。しかし、宮内省からつぎのような意見が出され、議論は収束に向かう。すなわち、退位を認めると、即位しない自由を認めることになり、極端な場合、継承資格をもつ全ての皇族が即位を拒否し、天皇制の存立さえ危うくなる―という意見である。学界出身の委員は納得しなかったが、大勢は8月中に決した。

10月26日、臨時法制調査会は、退位を認めない内容を含む「皇室典範改正法案要綱」を完成させ、吉田茂首相に提出した。退位を認めない理由として、退位を認めると混乱を生じること、現実問題として憶測を生じ困難な事態を招くおそれがあることが挙げられた。憶測とはもちろん、昭和天皇の退位のことである。そして、この臨時法制調査会の「皇室典範改正案」がそのまま政府案になり、枢密院、そして帝国議会で審議されることになった。

「譲位といふ最後の道」
三笠宮が意見書を起草したのはまさにこのタイミングである。三笠宮は枢密院議員であり、他の議員たちの目に触れることを前提に、新憲法が公布される11月3日、約9600字の意見書を書き上げた。「はしがき」「皇室典範改正の基礎観念」「皇位継承」「立后」「摂政」「皇族」「むすび」と章立てされている。

さて、意見書の内容である。三笠宮は議論の前提として、新しい皇室典範案は明治の典範を基礎として新憲法の精神に沿わないところだけを事務的に変更した性格が強いことを指摘している。こうした典範案は「面倒を省く」という点では優れているが、一時の糊塗にすぎず、「将来必ず問題が起(こ)る危険性を含んだ案」であると三笠宮は強調する。まさに70年後のいま、問題が起こることを予見していたかのような記述である。

三笠宮は新憲法で天皇は、国政に関する権能を失い、国事行為についても内閣の助言と承認を必要とすることになったことの2点と、基本的人権の尊重が原則であることの矛盾について書き進めていく。つまり、「新憲法で基本的人権の高唱されてゐるに拘らず……許否権すらもない天皇」ならば、もし、天皇と内閣の間に意見の対立があった場合、どうするのか、と問うのである。

戦後、一部の憲法学者は、天皇を押印と署名のためのロボットのような存在として位置づけている。たとえば、稲田陽一は「天皇の役割は……ロボツトにすぎず、平均人以下の能力を有する者でさえ勤まり、何等常識的判断力すら要しない」と論じた(「天皇の世襲制と人間性」『岡山大学法経学会雑誌』19号、1957年)。純粋な法理論としては正当な議論であるが、天皇が人間であり、意思と個性の持ち主であることは議論の外に置かれている。三笠宮が反発を覚えたのもこの点であろう。

三笠宮は言う。天皇は「生れつき大所高所から全国、全世界を眺める様な教育」を受けているから大局的な判断に優れている。だから、百年に一度起こる国家存亡にかかわるような判断(たとえば、開戦のような)を内閣がなした場合、それに反対の意見を持つこともありうる。そんな極限状態で、「天皇に残された最後の手段は譲位か自殺である」と三笠宮は続ける。「天皇が聡明であり、良心的であり、責任観念が強ければ強い程此の際の天皇の立場は到底第三者では想像のつかぬ程苦しいものとならう。……天皇に譲位といふ最後の道だけは明けておく必要がある」。むろん、些細な理由で退位するのも問題である。そこで「天皇は皇室会議に対し譲位を発議することが出来る」という規定で、最終的には皇室会議での決定に任せるべきであると三笠宮は主張するのである。

三笠宮は、のちに紀元節復活に反対するなどリベラルな思想の持ち主である(このため、右翼陣営からは攻撃を受けた)。リベラル派主流は、天皇からすべての政治的権能を奪うことで、天皇という権力を抑制することを目指した。それが日本国憲法のつくりである。ところが、三笠宮はリベラルな皇族の立場から、その憲法が天皇の人権を奪うという危険性を主張したのである。天皇・皇族だけが基本的人権を与えられない矛盾を指摘したと言ってよいであろう。このことについて、憲法は皇族は人権の番外地であるとして例外と考えてきた。その矛盾が、今回の生前退位問題の背景にもある。

三笠宮は象徴天皇制についても鋭い見方を意見書のなかで示している。それは、戦前の天皇制は、「国民の前に全くヴエールをかけて現人神として九重の奥深く鎮ま」っていたが、新しい制度のもとでの「天皇は性格、能力、健康、趣味、嗜好、習癖ありとあらゆるものを国民の前にさらけ出して批判の対象にならねばなら」ず、そして、「実際問題とすれば今迄以上に能力と健康とを必要とする」であろうと指摘した点である。

憲法学者のロボット天皇観とは全く異なる天皇観である。戦後の天皇制、とくに平成に入ってからのそれは、三笠宮の予想した通りになっており、いままさに天皇の「能力、健康、趣味、嗜好」が問題になっているのである。三笠宮は「天皇は象徴であり、無答責だからといつて馬鹿でも狂人でもよい」という考え方に、異議を唱えた。皇族でなければ書けない言葉づかいである。

そうしたうえで、天皇が崩御したら、自動的に皇太子が即位するシステムではなく、皇室会議の議を経て、国民の承認という形を取った方がよいと提言する。その方が、新天皇の「適格性を保証」し、「天皇の地位を強固にする」と考えたためであった。これは、即位の際、議会への宣誓書提出が必要であるとした現行ベルギーの制度と同様、王政と民主主義を調和させる考え方である。リベラル派の三笠宮らしい発想と言える。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2016年12月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。