2015年の日本の交通事故死者数は4,117人、交通事故負傷者数は666,023人でした。交通事故死者数が一番多かったのは1970年で、16,765人が死んでいます。
親兄弟子どもが事故死したことによる残された家族の悲しみの総数、そして交通事故の加害者になってしまった苦悩の総数をも含めれば、被害は相当大きなものになります。つまり日本では、毎年100万人以上の交通事故による甚大な被害がもう数十年間も続いている、ということになります。
それでも「車絶対反対!」と言って自動車メーカーに車の製造中止を求める声は挙がりません。代わりに、運転者はより安全運転を心がけ、メーカーはより安全な車を作ろうと研究し、国はより安全な交通インフラの構築や法律の制定に努力します。それでも依然被害は100万人以上ですが、そうした様々な努力の結果、日本の交通事故死者数は大幅に減少しました。
車にできることなら原発にもできるでしょう。交通事故は今すぐ血が出ますが、原発事故による放射能の人体への被害は少し遅れて出てきます。車と違って放射能は目に見えませんから確かに不気味です。ですが、今のところ被爆を直接的な死因とする死者は福島で一人も出ていません。まだ一人も死なない原発には1万年に1回の地震の可能性が問いただされますが、毎年数千人が確実に死ぬ車には何のお咎めもありません。
放射能は正体がよく分からない、年数が経ってから影響が出てくる、ただ一度の事故だけで漁業農業海山など被害が広範囲で長期にわたる、避難が大変、そういうこともあるでしょう。それでも車は日本だけで毎年死者数千人、被害総数100万人以上で、その毎年の被害がもう数十年間続いているのです。やはり合点がいきません。原発に挙がる声はどうして車には挙がらないのでしょう。
安全な原発を遅滞なく再稼働できれば、代替の火力発電にかかっていた費用を年間で数兆円節約できるそうです。そのお金を、福島の人たちも含め、今困っている人に回せます。1万年に1回の地震を今心配しても仕方ないのではないでしょうか。だいいち、100年もすれば間違いなく原発よりも安全で安価なエネルギー確保の技術が開発されているでしょう。1,000年もすれば全ての原発は既に廃炉になっているでしょう。それともこれは文明論の問題なのでしょうか。
私は読売新聞に洗脳されている可能性があります。定期購読しているのが朝日新聞なら、こんなふうには考えなかったかもしれません。でもやっぱり疑問です。
天野 信夫 無職(元中学教師)