かつて、ジョン・メイナード・ケインズは、社会が豊かになれば人々の余暇時間が劇的に増加して、人々は余暇時間の使い方を真剣に悩むようになると指摘しました。事実、100年くらい前に比べれば人々の労働時間は減少しています。
しかし、ケインズが指摘するほど劇的な劇的な減少はなかったと言われています。
その大きな理由として、社会が豊かになればなるほど人々の消費意欲が高まり、様々な物を手に入れるために労働時間を減らさなかったからです。ケインズが想定したよりも遥かに消費社会となり、消費を賄うために余暇時間を犠牲にして働くようになったということです。
モダンな団地生活で満足していた日本人が、マンションや一戸建てを欲しがり、今ではマイカーや様々な家電製品に囲まれるようになりました。これらの物欲を充たすためには従来の生産性では足りなくなってしまい、技術進歩が進んでも余った時間を生産活動に振り向けたのです。
更に、時間を余暇に回せば回したで、消費を待ち受けているレジャー産業が待ち受けて消費を喚起するので、それを賄う分も働かなければならなくなりました。
つまり、増えた所得は物の消費やレジャー消費に回され、経済的に豊かになった割には労働時間は減らなかったのです。
さらに、収入の高い人達は、余分に働けば働くほどたくさんのお金を稼ぐことができるので、単位時間あたりの価値の高い人たちは余暇を犠牲にして働く傾向があります。実際、私が弁護士になりたての頃、ベテラン弁護士の人達が「土日に休むのはもったいない」などと呟いていました。
ところが、昨今、個人消費が伸び悩んでいます。これは、人々が忙しくて消費する時間がなくなったからではなく、余暇時間を奪ってしまうアイテムがたくさん出現したのが最大の原因でしょう。スマホを開けばいくらでも時間を潰すことができます。SNSに興じるだけでなく、アマゾンプライム会員になれば、スマホで映画も音楽も無制限で楽しめます。
こうなると、多くの人々にとって、より多くの消費をするために労働時間を増やさなくてもよくなってしまいました。安価に楽しく余暇を過ごすアイテムが山のように提供されているのですから。
私は、AIが進歩しても、IT革命の時のように人間がより多忙になるだけだと考えていましたし、今でも基本的には同じ考えです。しかし、昨今の、余暇時間がいくらあっても消化できないサービスの提供を目の当たりにすると、もしかしたら抜本的に労働時間が減少する時が来るかもしれないと思うようになりました。
モノ消費もレジャー消費も減少すれば、それに従事している人達の労働時間も減少します。彼ら彼女らにとっても、増えた余暇時間を補って有り余るサービスが提供されています。
すべての人が、というわけではないにしろ、大きな流れとしての労働時間革命が近い将来待っているのかもしれません。その時、あなたはどうやって暮らしますか?
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2016年12月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。