韓国の朴槿恵大統領が「血涙を流すという意味が初めて実感で分かった」という趣旨の発言をしたという記事を読んで、心が痛くなった。国会で弾劾訴追案が可決された9日、朴大統領は「血涙を流すという言葉はどんなことかと思っていたが、今その意味が分かった」というのだ。
当方はここ数日、激しい首痛でダウンしていた。痛みは軽くなったが、まだ続いている。首の筋肉が痙攣するのだ。その痛みはかなりきつい。痙攣する度にそ れを我慢するために体に力が入るので、目から自然に涙が出てくる。ベットから立ち上がる時も、横になる時も、体を動かし、首が動くと痙攣が襲ってくる。そ の度に目から涙が出てくる。しかし、血涙ではない。
血涙を流すという状況はどのようなものだろうか。韓国紙セゲイルボのコラム「説往説来」によると、「とても悲しく悔しくて流す涙」という。そして韓国の歴史では血涙を流してきた人間は少なくなかったというのだ。多くは不法に弾圧された人々だ。
韓国紙によると、野党側は「大統領は血涙を流している時ではない。反省の涙を流すべきだ」と、血涙を流す思いを吐露した朴大統領を揶揄したという。それを聞いて、当方は「韓国人が分からなくなった」という思いが深まった。
朴槿恵大統領の親友、崔順実(チェ・スンシル)被告の国政介入事件で朴大統領の言動を擁護する考えはない。韓国の法に基づいて対応すべきだ。大統領も法 の下で平等に扱われなければらないことはいうまでもない。その意味で、韓国国会が朴大統領の職権をはく奪したことに異議を唱えるものではない。
問題は、国民が選出した大統領が血涙を流す思いを吐露したのだ。その大統領と共に血涙を流した国民はいただろうか、と考えるのだ。
聯合ニュースによれば、「朴大統領の弁護団は16日、国会で可決された朴大統領の弾劾訴追案に反論する答弁書を憲法裁判所に提出した」という。すなわ ち、「朴大統領は弾劾される理由がない」と考えているわけで、野党側から言わせれば、朴大統領には「反省の涙」がないと受け取られるわけだ。
人は簡単には涙を見せない。ましてや、社会的な立場や名誉のある人間は公けの場で涙をみせたり、弱音を吐かない。大統領は国の最高の公人だ。その公人の大統領が血涙を流す思いを吐露したのだ。
血涙は独裁者や不法な為政者に弾圧されてきた国民や個人が流すものであって、大統領や為政者が本来、使う表現ではない、という。多分、その通りだろう が、為政者も涙を流す生の人間に過ぎない。支持率5%以下の大統領は、たとえ血涙を流したとしても国民から同情を勝ち得ないという現実は、余りにも辛い。
為政者が血涙を流すというのは、ひょっとしたら、朴大統領が韓国歴史上、非常に珍しいケースかもしれない。国民が大統領にエンパシーを感じ、共に涙を流 すということは難しいが、当方は流してほしいのだ。為政者が血涙を流す思いを表明した時、「反省の涙はどこに行ったのか」と追及すべきではない。それで は、これまでの歴史の繰り返しとなってしまうだけだ。
朴大統領に肩入れしていると受け取らないでほしい。戦後の廃墟の韓国を経済的に復興させた朴正煕大統領の娘であり、母を凶弾で失った娘だ。その娘の歴史は戦後の韓国史と重なる部分が少なくない。
繰り返すが、韓国民は朴大統領に名誉ある退路を準備してほしい。大統領に対して、ツバを吐きかけ,罵倒の声を投げかけるのは止めるべきだ。たとえ、「反省の涙」が十分でないと感じたとしてもだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年12月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。