井伊直虎は男だったという新説を検証する

八幡 和郎

来年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公である井伊直虎の新たな史料が見つかったと井伊美術館(京都市)が発表した。館長の井伊達夫館長(74)は、井伊家分家である越後与板藩主家の婿養子で当主である。

最近、著書も多いが、『史眼  津本 陽×井伊達夫 -縦横無尽対談集-』(官帯社)を見ると、「石橋湛山とか、あのへんまでね。なんかやっぱり一国の宰相ちゅう、ああいうのあったですけど。今はもう、なんか事務局員の集まりのトップという感じね。まあ安倍さん筆頭にね。失礼ながら安倍さんはPTAの会長くらいならいいかもしれない。世襲のあれですね。なんか江戸時代とあんまり変わらない」とかユニークな分析も披露されている。

私も『井伊直虎と謎の超名門「井伊家」』 (講談社+α文庫)を書いた責任からも、 この新説を検証してみよう。

新資料は「守安公書記・雑秘説写記」と題する三冊の冊子で、1640(寛永17)年に家老の木俣守安がおばたちから聞き書きした内容を、1735年に子孫の木俣守貞が書き写したものという。

約50年前に滋賀県彦根市内の古道具店で買い、今年8月末に記述を見つけたという。この中で、井伊谷が複数の武士による勝手な支配で鎮まらないため、今川氏真が、家臣の新野左馬助親矩(女性の次郎法師直虎の叔父)のおいである関口越後守氏経の子(つまり次郎法師直虎の従兄弟)を井伊谷の領主の「井伊次郎」とし、治めさせた-との記述があったのを発見したのだという。

井伊谷はそれぞれ力を持った武士たちが勝手に所領を取り合い鎮まらないので、関口越後守の子を井伊次郎とし、井伊谷を与えたが、井伊次郎は若かったので、戦では本陣で井伊谷の衆を新野左馬助が統率し補佐したという。史料に「直虎」との記載はなかった。

地元の神社に伝わる古文書には、関口との連名で「次郎直虎」の名前と花押があることなどから、「関口の息子である井伊次郎が直虎」と考えられるとしている。

通説では、井伊家菩提寺の龍潭寺(浜松市北区)に「次郎法師」の名前が書かれた寄進状があることや、住職が江戸時代にまとめた「井伊家伝記」などから、「次郎法師」という女領主が直虎で、初代彦根藩主の直政の養母とされてきた。

1560年の桶狭間の戦いで戦死した井伊直盛の娘が次郎法師を名乗っていたのは、間違いなさそうで証拠もある。そして、この時期に、井伊家惣領である井伊次郎を他に名乗った人物がこれまで見つからなかったので、浜松市にある蜂前神社に残されている文書に次郎直虎という記述があることから、次郎法師イコール直虎と解釈されてきた。

そのあたりを総合すると、直虎が次郎法師であるという以外の可能性もでてきたが、決定的ということではない。

そもそも女性の次郎法師を女地頭だったとした「井伊家伝記」は、1730年にこの木俣守貞が井伊家の由来を調べるために龍潭寺の和尚に依頼してまとめさせたものである。そしてこの新資料は同じ守貞が、先祖の木俣守安が1640(寛永17)年に、新野親矩の娘らから聞き書きし、1735(享保20)年に子孫の木俣守貞がまとめたという「雑秘説写記」に書いてあったという。つまり同じ守貞が関与した資料なのである。そして。それを受けて、守貞がどういう判断をしていたのかは不明だ。

新野親矩の娘から聞いたというのだが、直虎の従姉妹だから、1640年となると相当な高齢であり、80年も前のことを語っているので、どこまで正確かはなんともいえない。

しかも、この新しい次郎のその後などについて何の証言もなのだが、早く死んだと言うことだろうか。あるいは、次郎法師を還俗させて結婚させる計画などなかったのだろうかなどと想像はいろいろできる。

いずれにしても、たとえ、井伊家の家督を継承した時代があったとしても、直政が井伊家にもどって惣領として認められた頃には、死んでいたということなのだろう。

なお、中日新聞電子版やほかの報道では、このニュースを聞いた関係者の反応を紹介しているが、そのなかには以下のようなものもある。

龍潭寺の武藤宗甫住職・・・次郎法師を女性と示す戒名の存在に触れ「寺では代々、次郎法師と直虎は同一人物で女性と解釈していた。男という仮説は聞いたことがない」

浜松市の山下文彦観光・ブランド振興担当部長・・・「検証は専門家に委ねる。地域活性化や観光振興にしっかり取り組む」

NHK広報局・・・「直虎に関しては諸説あると考えており、ドラマはあくまでもフィクションで、影響はないと考えている」

引佐町史の井伊家関係の執筆者で、大河ドラマの時代考証も担当する静岡大の小和田哲男名誉教授・・・「井伊家家臣の記録に、関口の子が井伊次郎を名乗ったと出てきたのは興味深いが、直虎とは断定できず、次郎法師と井伊次郎の二人が同時に存在したことも疑問」「現段階では、直虎が女性という通説の方が蓋然性が高い」

一橋大の夏目琢史助教・・・「井伊家伝記も今回の記録も二次史料。細部まで調べる必要がある」
国際日本文化研究センターの磯田道史准教授・・・「井伊家伝記は江戸時代中期の成立だが、新史料は聞き書きされた時期が古く、井伊の筆頭家老家の記録であり貴重。武田軍に占領された井伊谷の様子など記述が詳しく興味深い」

新史料のほとんどが木俣守貞の字だと鑑定した母利美和・京都女子大教授・・・「傍証と照らし合わせても、直虎を男と示す決定的な史料。最近の研究で、井伊家伝記には史実と違う部分があることも分かってきており、史実を再整理すべきだ」

※アイキャッチ画像はNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」公式サイトより引用(編集部)