都政に新しい時代を切り開いた第一人者は、音喜多さん

早川 忠孝

そろそろ皆さん前東京都知事の名前を忘れる頃ではないかしら、と思っている。
えー、と、あの目がグリグリして大きい人。

今は見事にテレビの画面から姿を消している。

いや、消されたと言った方がいいだろう。
かつてはお茶の間の人気者で、一時は総理候補と持て囃されたこともある人だが、今はその人の名前を口に出す人は殆どいない。

あれは何だったろうか、と思わないでもない。
猪瀬さんが都知事を辞任することになって彗星の如く現れ、都知事選挙で大変な得票を収めながら、風の如く去って行った。

現れるのも突然だったが、消えるのも突然だった。
やっぱり変な人だったんだなあ、という感想しか残らない。

日一日と印象が薄くなっていく舛添氏だが、さて舛添氏は東京都に何を残して去って行ったのだろうか。
都知事就任の直後はそれなりに頑張っていたように見えていたのだが、どうやら幻影だったようだ。

今日のテレビ番組で、週刊誌であれこれ取り沙汰されていた都立広尾病院移転計画が白紙になったことを小池さんが表明したようである。

舛添氏が打ち上げた花火や約束が、一つ一つ白紙になっている。
一つ目は、韓国人学校への都有地の貸与問題。
小池さんが知事に就任して最初に行ったのが都有地貸与約束の白紙撤回だった。

豊洲への築地市場移転の延期決定が第2番目。

2020年東京オリンピック競技会場の変更が第3番目に来るところだったが、これは400億円程度の競技会場建設経費の削減という形で決着した。

200億円の政党復活枠の廃止も舛添都政時代まで踏襲されていた議会と知事部局の馴れ合いの廃止と言っていいだろう。
そして、今回の広尾病院移転の白紙化だ。

舛添氏は如何にも色々やっているように立ち振る舞っていたが、大半は意味がないことをやっていた、ということだろう。
本当のことが分っていた人にはずいぶん馬鹿らしいことをやっているものだ、と映っていただろうが、一般の人は何も知らなかった。

勿論、私も知らない。

本当のことを教えてくれたのは、一部の人が一生懸命情報公開に動いてくれたからだ。

週刊文春もよく頑張ったが、やはりすべての引き金を引いたのは都議会議員の音喜多さんだろう。
音喜多氏が東京都に対する情報公開請求で入手した墨塗りの文書をそのまま自分のブログも掲載してくれたので、私たちも少しづつ本当のことを知り始めた。

若狭さんが、崖から飛び降りた男としてスポーツ紙から表彰された。
小池さんや若狭さんの応援団の一人として大変嬉しいことだが、都政に対しての私たちの目を開いてくれたのは何と言っても音喜多さんである。
音喜多さんにもどなたか表彰状を上げて欲しい。

私も個人的に音喜多さんに表彰状を差し上げたい。

あなたが一番。
音喜多さんのお蔭で、多くの人が都政に関心を持つようになった。

ますます、ガンバレ。

まあ、声援だけでは大した意味がないだろうが、いずれはこの声援が大音響になるはずだ。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2016年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。