あけましておめでとうございます。
今年が皆さんとってより良い年でありますように。
さて、昨年末フランスの歌手、ピエール・バルーが亡くなりました。
彼はフランスのインディーズ・レーベル、サラヴァを設立し、サラヴァは細野晴臣、高橋ユキヒロ、大貫妙子な多くの日本のミュージシャン、音楽界に影響を与えました。フランス語圏を除けば、フランスのポップミュージックが一番聞かれているのは日本じゃないでしょうか。
フランスはジャポニズムやオタク文化、和食など日本文化から多くの影響を受けていますが、逆に我々日本人もフランスの文化から多くの影響を受けております。
「男と女」の完成には紆余曲折があって、偶然に偶然が重なってヒット作となり、主題歌も大ヒットしました。
2016/11/28付の日経では彼本人がそのあたりの事情を語っています。
わが音楽 情熱の半世紀
欧州最古のインディーズ・レーベル、自主映画が原点 ピエール・バルー「男と女」はこのように自分たちで工夫して作った作品のため、自由な試みにあふれている。象徴的なのが音楽。それまでの映画音楽の常識はオーケストラだった。しかし、友人のフランシス・レイというアコーディオン奏者が作曲し、私が歌詞を書いた歌を映画音楽にしてしまった。
監督が資金集めに奔走している時、私は別の映画のロケでブラジルにいた。そこではギター奏者のバーデン・パウエルら現地のミュージシャンと音楽を作りあった。
撮影を再開するとの電報が届き、帰国する前夜に開かれたお別れパーティーで、私は仲間と夜を徹して音楽を奏でながら、映画に使われる「サンバ・サラヴァ」という曲のフランス語版を完成させた。甘いささやきとサンバのリズム……。飛行機が飛ぶ直前にバーデンの下宿で録音し、テープを抱えて帰国した。
空港では兄と監督が迎えてくれたが、私はとにかくこの曲を聞いてもらいたかった。知人のラジオ局に直行し、再生したところ、監督は「これを使うために映画のプロットを変える」と言い出した。しかも映画で使われたのはこの録音の音源。臨場感たっぷりの熱い感じが表れているのがよかったようだ。
世界的にヒットしたこの映画が偶然の成り行きで完成したことがわかります。
その偶然は棚ぼたではなくて、関係者の必死の奔走があってのことで、努力が結果を引き寄せたのかもしれません。
映画の大ヒットと共に大金が転がり込み、サラヴァレーベルはレコード製作を始められた。当時まだ無名だったブリジット・フォンテーヌ、ジャック・イジュランらの作品だ。その後も、あまたのアーティストがサラヴァに押し寄せ、多くが世界で活躍する音楽家になっていった。
このサラヴァがご案内のように日本のミュージシャンに影響を与え、高橋ユキヒロは自身のアルバムのタイトルにもしています。
実は友人の二村じゅんこ氏がピエール・バルーの息子と結婚してことがあって、色々と面白い話も聞かせて貰えました。彼は日本が好きで奥様も日本人でした。
彼は抜けないAV監督で有名な中野貴雄氏が主催する女相撲をフランスに呼んだりしたこともあったそうです。
以前大貫妙子さんと佐野史郎さんのトークショーで大貫さんが披露していたのですが、日本でライブをやるときに、リハーサルも調子がでないと、直ぐに帰ってしまったとか、いかにもフランス人らしい彼の話をしておりました。
アメリカのポップミュージックは余り、質を高めるためというか、全部をカネで判断するとか、何か工業製品的な印象を受けるのですが、フランスや日本の音楽はまだ、趣味的な、或いは手工業的なところを残しているような気がします。
例えば正しいかどうかはわかりませんがアメリカポップミュージックはプレイボーイ誌のグラビアのヌード。確かにすごいブロポーションで美人なんですが、何か人工的な感じがしてセクシャリティに欠ける。対して日仏のポップスは日活ロマンポルノみたいな、淫靡さや手作り感がるような気がします。
日仏の音楽シーンに多大な影響を与えた巨人の死を悼むばかりです。
ですが、彼の与えた影響は両国のミュージシャンに大きな影響を与え、育てたことは今後も多くに人々の記憶に残るでしょう。
編集部より:この記事は、軍事ジャーナリスト、清谷信一氏のブログ 2017年1月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、清谷信一公式ブログ「清谷防衛経済研究所」をご覧ください。