押し付け憲法論を押し退ける力があるか「昭和天皇の勅語」

昭和天皇Hirohito_Signing

日本国憲法に署名する昭和天皇(Wikipediaより:編集部)

私の意識化に眠っていた大事な言葉を今朝の朝日が呼び覚ましてくれた。

私が自分を護憲的改憲派と位置付けて様々な憲法論議を展開してきたことは、長年私のブログを読んでこられた読者の方々にはご理解していただけると思う。

私は、現行憲法には一定の修文が必要だとかねてから主張しており、そういう意味では憲法改正派の一人であるが、現行憲法の基本原則である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3原則に背馳するような改正には反対であることを宣言してきたつもりである。

私が何でこれほどまでに現行憲法の3原則に拘るのかと言えば、結局のところはこれだったのだなあ、と思っている。

昭和天皇の昭和20年9月4日の勅語が策定されていった経緯が今朝の朝日に詳述されていた。

「朕は 終戦に伴う幾多の艱苦を克服し 国体の精華を発揮して 信義を世界に布き 平和国家を確立して 人類の文化に寄与せむことを冀い 日夜しん念措かす此の大業を成就せむと欲せは」
(私は、終戦に伴う多くの苦しみを克服し、わが国の真価を発揮し、信頼を護り道義を果たす努めを世界に知らしめ、平和国家を確立して、人類の文化に貢献することを希求し、ひとときも忘れることなくこの大業を成し遂げようと思っている。以上は、朝日新聞に寺島恒世・国文学研究資料館副館長監修と明記されたうえで紹介されている昭和天皇の勅語の一部とその現代語訳である。)

「平和国家」という一語に、戦後の我が国の在り様が端的に示されていると思っている。

昭和20年9月4日は、私の誕生日である。

「日本は45年9月2日に降伏文書に調印し、連合国に無条件降伏した。戦争を終結させたポツダム宣言は戦争責任の追及や戦争犯罪人の処罰を掲げており、戦争責任者に昭和天皇が含まれるか否かは、政府関係者の関心事だった。『天皇の戦争責任を回避するためにも、平和国家として生まれ変わることでポツダム宣言を履行する決意を、国際社会に向けて示したかったのではないか』と吉田裕・一橋大教授(日本近現代史)はみる。」

そう、朝日は書いている。

「昭和天皇の勅語は『戦争国家』から『平和国家』へ転換するという国民への提案だった。人々は広くそれを受け入れ、憲法9条の平和主義を歓迎する土壌となった。国民の多くにとって憲法は押し付けではなかった」

東大名誉教授の和田春樹氏の言葉を借りて、朝日はこのように主張している。

まあ、それでも相変わらず憲法押し付け論に拘泥される方々が相当数おられるとは思うが、私は、私がこの世に生を享けた時に発出されたと言われる昭和天皇の勅語を目にして、日本の平和主義を何としても護り抜かなければならないと覚悟を新たにしたところである。

何やかや叩かれることが多い朝日新聞だが、今朝のこの記事は実にいい。

朝日にも何としても頑張ってもらいたいところだ。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2017年1月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。