政治家の評価は「何を言ったか」ではなく「何をやったか」

平成29年(2017年)新たな年が始まりました。自民党の幹部からは常在戦場、選挙の準備には怠りなくと言われ続けています。1月解散、2月総選挙の声は未だにあり、5月には新たな衆議院小選挙区の区割りが答申される。7月には東京都都議会議員選挙、横浜では横浜市長選挙があり、正に選挙が主要テーマとなる年と言えると思います。

国民主権の普通選挙が民主主義の原点であるとこは間違いない。僕が心配するのは、俗に言う「地元活動(=後援会活動+政治活動+政党活動)」と「国会活動(=立法活動+外交活動+政策調査活動)」が大きくずれ始めているという点だ。

戦後の日本が高度経済成長期・バブル期と経済発展の歴史を歩んできた時代は、政治家の役割は予算の配分調整とインフラ整備を中心とした地元要望の実現であった。つまり、永田町での国会活動が地元活動と連動していたのです。政治家の役割もインフラ整備が実現すれば、目に見える形で貢献を伝えることが出来たということなのです。

しかし、現在はどうであろうか。新たなインフラ整備は都市部を中心にほぼ終了に近づいている。理屈をつければエンドレスにインフラ整備を行うことは出来るが、ナショナルミニマムは終わりを遂げている。政治家の役割は、持続可能な社会保障制度の確立、安定的な経済発展、行政の効率化、デジタル社会の確立、環境負荷の少ないエネルギーへの転換等、地元に具体的に見える形で残るものではなくなってきている。

僕が担当する水素エネルギー政策は、日本国民全体の理解がないと進めることは出来ません。それ故に、政策の実務責任者として、全国でのシンポジウム参加、企業や大学の研究施設視察、自治体の取り組み状況視察、書籍出版、マスコミ対応、自民党の政策勉強会開催等、多くのことをしていかなければなりません。また、日本だけで実現できても二酸化炭素削減量には限りがあるので、世界中を巻き込んでいかなければなりません。海外での講演やシンポジウムの参加、水素関係者との意見交換等、世界中を飛び回わらなくてはいけないのです。フランス・ドイツ・アメリカ・イスラエル・台湾等、多くの国にこれまでも行ってきましたし、これからも積極的に出ていきます。

行政改革の取り組みも、目に見えません。どれだけの時間を費やし議論を重ね、予算の無駄を省き、効率化を高め、PDCAが行えるように定量的な数字を求め、データを使いエビデンスで有効性を示す法律を定めても、地元に目に見える物はありません。僕らの子供たちの時代には、健全な財政の上で、効果的な予算がエビデンスに基づいた優先順位で執行されるように、行革をやっているといっても、目に見える物ではないので、実感を持ってもらうのは厳しいのです。

こうなると地元活動と国会活動が大きくずれてくるのです。地元に居る時間が減り、地元の有権者が目に見える物を残せない。実感を伴わない成果なので、大きな波が押し寄せるとその波に飲み込まれる可能性が大となります。選挙的に言うとこうした世界では、言った者勝ちとなりがちです。本来は「何を言ったか」ではなく、「何をやったか」で政治家は評価されるべきものですが、成果の見えない世界では「この予算は良くない。この政策は良くない。とにかくダメだ」と単に言っている人が評価されてしまうのです。「切れ味鋭い弁舌」とでも言うのでしょうか?もちろん、言うだけでは何も進みませんので、何の役にもたっていません。

「政治は国民のもの」これが自民党立党の思いです。その思いを受けて、国家・国民の為に全力を尽くすことを、今年も約束したいと思います。


編集部より;この記事は衆議院議員、福田峰之氏(前内閣府大臣補佐官)のブログ 2017年1月13日の記事を転載しました(タイトル改稿)。オリジナル記事をお読みになりたい方は、ふくだ峰之の活動日記をご覧ください。