112歳の生誕記念で語られた中国知識人の良心

中国語には読み方をアルファベットで表記した「ピンイン」がある。これを生み出した言語学者の周有光氏は、上海のミッション系聖ヨハネ大学で経済学を専攻し、1930年代、東京大学に留学した。マルクス主義経済学の権威、河上肇を慕って京都大学に移籍したとのエピソードが伝わる。彼が1月14日未明、北京で亡くなった。前日、満111歳の誕生日を迎えたところだった。数え年では享年、112歳となる。

晩年は海外のメディアを通じ、中国共産党の独裁体質を批判し、民主化を求める発言を繰り返した。もちろん国内では封じられ、訃報で初めてその名を聞いたという若者がほとんどだ。

実は彼が亡くなったその日、上海で「世界と中国への正しい認識--祝周有光先生112歳誕生日座談会」が開かれ、地元在住の知識人や周有光氏の親戚約30人が集まった。それぞれが彼の功績をたたえると同時に、中国知識界の現状について意見交換をした。結果的に誕生記念がそのまま追悼に変わる特異な会となった。会の開催自体は聞いていたが、詳細な発言までは追っていなかった。

今朝、グループチャットを通じ、上海師範大学歴史学部の蕭功秦教授の発言全文が送られてきた。一読し共鳴するところが多かった。

蕭教授は、「周老(周有光氏への敬称)に常識の理性、つまりイデオロギーを超越し、宗教の熱狂やロマン主義の信仰信条にもとらわれず、経験的な理性によって問題を判断し、選択をする態度を感じる」と述べた。中国語でイデオロギーは、「意識形態」のほか「意底牢結」とも訳される。意識の底にこびりついて固まったものを指す。信仰や信条に振り回され、正しい世界の把握を阻害する元凶だ。単純な理想だけでは極端なロマン主義に陥り、経験に偏り理想を忘れれば大局を見失う。常識と理想のバランスをもった理性を言っている。

そのうえで蕭教授は「周先生の文章には、清く、済んで、冷静で、素朴な常識的理性がある」とする。

スピーチの主題は、米国政治への分析に移る。蕭教授は、先の米大統領選を、左翼イデオロギーを前面に出したヒラリーと利益を重視する保守右派のトランプとの対決ととらえる。オバマ民主党政権のもとで、イデオロギーに縛られた過剰なグローバル化、理想主義、平等主義が横行し、結果的に多くの国民が不利益を被った。そこで自国民の利益回復を掲げたトランプの勝機が到来した。彼の勝利は、「保守主義の超革新主義に対する、実務的現実主義のロマン的理想主義に対する、経験主義の原理的理性主義に対する勝利」なのだという。

蕭教授は、トランプの過激で、突拍子もない、時には荒唐無稽な発言にとらわれるのではなく、彼が担っている米国社会の病根や利益重視の政治スタイルに注目すべきだと説く。これもまた周老の常識的理性に従ったものの見方だとうわけだ。日本の中国報道にはとかく安易な二者択一の体制論が目立つが、こうした脱イデオロギーの視点が存在していることも見逃してはならない。中国知識人の理性を軽視してはならない。常識に従った理性的判断は、日本人も共有すべき人類の文化遺産である。

昨日、「道」について語ったが、その際に「依存や従属による思考ではなく、個人の独立した思考を支える独自の価値観、社会認識、世界観を指すのだろう。要するに常識と良識だ」と触れた。肝心なのは常識なのだ。鈴木大拙が指摘するように、日本人は禅において、茶道において、不立文字(ふりゅうもんじ)、静寂を説いてきた。西洋の認識方法とは異なり、知とうするのではなく、心を虚しくして見ること、わかることを重んじてきた。それが仏教では「大知」と言われる。柳宗悦は『臨済録』の「無事はこれ貴人、ただ造作するなかれ」を引用し、無為による茶の美の至極を語っている。

知をイデオロギーと置き換えれば同じことが当てはまるだろう。偏頗な知識の蓄積、おごった知識のひけらかしは、賢しらとして疎んじられる。「道」は迷信や根拠のない主観に頼るのではない。人生の経験と知恵によって培われた良識の目が見通し、切り開くものだ。112歳と聞いて、自分がまだその半分にも達していないことに気付き、なお常識に達するまでの長い道のりを思った。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年1月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。