ワシントンの米連邦議会議事堂で20日、第45代米大統領ロナルド・トランプ氏(70)の就任式が行われた。ワシントンは生憎の雨模様だったが、多くの国民が新大統領の就任式をみようと集まった。当方もウィーンの自宅でCNN放送を見ながら就任式をフォローした。就任式のハイライトはもちろん、新大統領の就任演説だが、トランプ新大統領は選挙戦の演説の延長のように単刀直入な表現と言葉で語りかけた。
トランプ大統領の演説テキストは「小学校の作文レベルの文法だ」と冷笑していたメディアがいたが、分かりやすいという点では新大統領の演説は模範的だ。新大統領の就任演説のエッセンスは、演説の中で2度飛び出した「アメリカ・ファースト」だろう。
ポピュリズムが席巻している欧州に住んでいると、「〇〇ファースト」という表現は政治家の口から頻繁に飛び出す。もはや、珍しくもなく、新鮮な感動もなくなった。ただメイフラワー号のピルグリム・ファーザーズの建国時の話を聞いている米国の国民にとって、「アメリカ・ファースト」はかなり刺激的な表現ではないだろうか。「アメリカ・ファースト」は自国の利益を最優先するという意味だからだ。
次世代が生き延びていくために目の前の穀物を食べることなく忍耐したピルグリム・ファーザーズの話は米国の「神の下で一つ」という建国精神の基ともなっているが、トランプ新大統領の「アメリカ・ファースト」はその建国精神に相反するのではないかという一抹の懸念が湧いてくるからだ。
オーストリアでは「オーストリア・ファースト」は極右政党「自由党」のキャッチフレーズだ。外国人排斥、自国優先の政策は有権者の心をつかみ、「自由党」は選挙の度にその得票率を増やしていった、次期総選挙では「自由党」が第1党に躍進する、という世論調査結果が報じられているほどだ。
ここでは「〇〇ファースト」の専売特許がトランプ氏ではなく、欧州のポピュリストにあると主張する気持ちはない。「〇〇ファースト」という言葉には国民の心をつかむ魔力があるのというのは国の違いを超えて同じだということだ。
さて、「アメリカ・ファースト」について考えてみたい。少し、冷静に考えれば、どの国の政治家が「わが国はラースト」と叫ぶだろうか。トランプ新大統領も演説の中で言及していたが、どの国も結局は自国の国益優先の路線を行く。国民の生命と財産の保護者として選出された政治家からは「わが国がファースト」以外に他の選択肢がないからだ。その意味で、トランプ新大統領の「アメリカ・ファースト」は批判を受けたり、逆に評価されるべき内容ではない。余りにも当然過ぎることだ。
レトリックを駆使した演説を得意としたオバマ前大統領やヒラリー・クリントン氏の演説と比較すると、トランプ氏のそれは余りにも単刀直入で飾りっ気がない。物足りなさを感じる国民もいただろうと推測する。ツイッターを駆使するトランプ氏は140文字以上長いテキストには慣れていないだけだ。
トランプ新大統領の「アメリカ・ファースト」は華やかな就任式を飾るのには少々デコレーション不足だが、繰り返すが、間違いではない。新大統領が伝えたかった内容は全て盛られていたからだ。問題は、新大統領自身が演説の中で述べていたが、「もはや語るのではなく、アクション」だからだ。
政治は商談ではない。ディ―ルだけで事が済むわけではない。妥協も和解もそして時には譲歩も必要だ。そのような指摘はトランプ新大統領自身がこれから学んでいかなければならないことであり、就任式を終えたばかりの新大統領に、あれこれ注文をつけても余り意味がないだろう。
ただし、当方にとって少し寂しい点は、新大統領の哲学、理念が見えないことだ。新大統領が尊敬するロナルド・レーガン大統領のような明確な世界観、人生観がトランプ氏の口からはまだ聞かれないからだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年1月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。