PKOでの戦死者第一号を過度に恐れるな

八幡 和郎
陸自@南スーダン 20161211_04

南スーダンの任務に就いた陸自部隊(陸自サイトより:編集部)

日本の平和主義者といわれる人たちが、チャンス到来といわんばかりに手ぐすねを引いて待ちかまえているのが、PKO活動で自衛隊員の「戦死者第一号」が出る日だ。

安倍首相は、「自衛隊の安全を確保し、意義のある活動が困難であると判断する場合には、撤収を躊躇することはありません」(2016年11月16日)、稲田防衛相も、「新たな任務の付与について命令を発出したのは私自身だから、全ての責任は私にある」(産経新聞16年11月18日)とあたかも、そんな日は来るはずないようなことをいう。

しかし、Xデーはいつか来るに決まっているし覚悟し準備も必要だ。そのときどう対応するかは、とても大事なことだ。日本人は予想されるが嫌な可能性への議論と対策をさけるから原発事故だってなんだって被害が必要以上に拡大する。だから、この議論を誤解を恐れずにあえてしておきたいのだ。

そうしたことを避けるために、日本のPKO活動がこれまで以上に臆病になっている、あるいは慎重すぎるようになったら、トランプがアメリカ大統領でなくても馬鹿にするだろうし、まして、トランプ大統領を念頭に置けば、代償はこれまで以上に大きくなると心配だ。トランプには特殊な国民感情など主張しても許されない時代だと覚悟すべきだ。

PKOで、自分たちの安全を第一と臆面もなくいうのはちょっと異常だ。そもそも、憲法第九条の目的は世界平和であって、自国民の安全を利己的に追求することではないからこそ崇高なのだと私は理解している。

自衛隊、警官、消防士の殉職者は平均年に10人足らず。自衛隊と警察で三万人、消防士が二万人に一人だ。トラックの運転手が3千人、漁師さんで2千人に一人だから相対的には危険な仕事でないのが現状だ(拙著:イースト新書「誤解だらけの平和国家・日本」イースト新書)。

兵士や警官は、危険があっても行動するから尊敬されるし、少々のリスクで警察などが行動を起こさないわけにはいかない。
自衛隊員が数字としてもおそろしく危険な職業になるなら問題が出るが、訓練や災害救助では危険を顧みずに行動するが戦場では危険を冒さないのは本末転倒だ。自衛隊の殉職者は事故で多く出ているが、軍用機や車両などは運動性能を重視して安全は少し犠牲にしているし、過酷な条件での訓練もしておかないといけないので、どうしても、事故は出るし、それを避けるべきでもない。

同様に、警察活動、消防活動、PKO活動、災害救助などは、ある程度は高い事故の危険があっても、行動せざるを得ない性質のものだ。火事の現場で建物が崩壊する危険がある程度あっても消防士は救助をするし、警官が銃器をもった犯人から逃げるばかりにはいかない。それがPKOは少しでも危なかったら駆けつけないというのではなんのためにPKOに行っているか分からないし、世界から馬鹿にされるだけだ。

私は通商産業省でなく通常残業省だと揶揄された役所にいた。過酷な外交交渉で健康を害する者も多かったし、アラビアの砂漠での交通事故にあったり、中国の奥地で急病になって手術をして命を落とした同僚もいた。湾岸戦争のときは、戦地に近いところに出張させられたのもいたし、私自身、テロ勃発の可能性があるとして渡航自粛で滅多に出張者が来ないパリに勤務していた。国際交渉で一年のうち飛行機に乗っている時間が一ヶ月を超えた人だっていた。

戦争保険に入るとしたら馬鹿高いのだが、それは誰が出すかと議論していただが、その問題が解決するまで待つわけにも行かない。

できるだけ危険を減らす努力は必要だがある程度は仕方ないと思っていた。徹夜続きの交渉はかなり健康に危険だが、だからといって、参加しないわけにいかない。

ただ、それでも、役所も民間もアフリカなど含め危険地域に日本人が少ないのは異常で国益も害しているし世界への貢献という観点からもよくない。戦地に日本人ビジネスマンすら少ない。あえて誤解を恐れずにいえば、外交官や政府職員の危険地域での事故率がもう少し高くてもかまわないと思う。徹夜の交渉や医療事故や北京の大気汚染で命を縮めていることに無頓着なわりには、テロや戦乱による事故は過度に避けすぎだ。

危険な仕事を志願する人がもっと報われるような仕組みもあってよい。知り合いのフランス人外交官は、次は日本という明確な約束で、レバノンに赴任したが、そういうのもあってよいのではないかと思う。

仕事で命を落とすとか寿命を縮めるというのはまったくゼロではありえない。必要なことは、理不尽にそれが多くなりすぎないことだけだ。
それに比べて、機械に挟まれてとか建設現場や漁船から落下してという名もなき庶民の労災死の記事をみると、もっとそういうのこそ減らすべきだと思う。

電通女子社員が自殺した事件が議論になっているが、職業の危険さは、殉職以上に平均寿命の長短でも議論されるべきだ。
スポーツ選手、パイロット、それに商社員や広告会社の営業は、おそらく短いのでないかともいわれるが、役所は統計をきちんととって改善策をとるべきだ。医療では医者より救急系の看護師さんなどのほうが問題でないかという人がいて気になる。

いずれにしても、PKOで死者が一人でたからといって、首相や防衛大臣が責任をとったり、追究されたりする必要もないし、それを恐れて日本の国際協力が臆病になりすぎるべきでもないし、まかり間違っても野党などがそうしたことを政治的に利用したりするのを許してはならない。そんなことをしたら、世界の笑い者だ。

また、自衛隊員に限らず、殉職者というのは、常に犠牲者であり被害者である。その社会的扱いは、どちらに過度に傾いてもダメだ。英雄とすることが過ぎて、被害者の側面を隠蔽するのもよくないが、おそらく、PKOで戦死者第一号が出たりしたら、日本のマスコミは被害者として扱うことにしてお涙ちょうだい、そして、危険な地域へ派遣させた政府への怒り、PKO活動からの撤退の主張などで紙面を飾るだろう。

戦死者として払われるべき英雄としての扱いはあまりしないだろうし、活動国や同盟国からの称賛も記事にしないだろう。しかし、それでは、世界での常識にも、ほかの分野での殉職者とのバランスでもおかしいのだ。

そのあたりは、自衛隊員の子としての野田佳彦民進党幹事長などが毅然とした行動をとるかどうかが決め手となるのでないかと思う。

誤解だらけの平和国家・日本 (イースト新書)
八幡和郎
イースト・プレス
2015-10-10