だから私は恵方巻きが嫌いだ

常見 陽平

昨日、2月3日は節分だった。幼い頃はよく豆まきをしたものだった。懐かしい。昔は池上本門寺の豆まきに行くのが夢だった。このお寺には力道山の墓があり。大物プロレスラーが着物で豆まきをするのが名物だった。ここ数年、この日は「恵方巻き」の日となっている。私の記憶では、コンビニなどが関東などでも恵方巻きを売るようになったのは十数年前だと記憶している。

実は私は恵方巻きを一度も食べたことがない。美味しそうに見えないこと、食べる様子がややみっともないのではないかと思うこと、そしてその商法に関する違和感からだ。大阪の庶民の文化だった恵方巻きを、一大商戦に仕立て上げたのはさすがの市場創造力とも言える。ただ、そこで苦しんでいる人もいるのではないか。


学生を使い潰すブラックバイトが問題となる今日このごろである。学生は戦力化されるだけでなく、基幹化している。少数精鋭ならぬ多数精鋭の労働力だ。安く、従順な労働力とみなされ、一度入るとやめられないバイト地獄に苦しんでいる。なかでも、罰金、ノルマ、自腹購入などが問題視されている。この恵方巻きもまた学生をこの罰金、ノルマ、自腹購入などで苦しめている。

21世紀の朝日岩波文化人を目指して修行中の私は、恵方巻きを食べたら人生、負けだと思っている。今年も食べなかった。ただ、私が恵方巻きを食べないことによって苦しんでいる労働者がいるということを考えると、ここは学生たちが自腹購入しないために、絶大なる経済力で数本買っておくべきではないか、家族にも配るべきではないかと思ったりすることはある。食べないと批判もできないので、今年こそ食べるべきかと悩んでしまった。そんな苦悩を抱えつつ、気づけば1日が過ぎてしまった。きっと今頃は山のように廃棄されているのだろう。集団の中で浮いて生きることの覚悟を教えてくれた『天空の城ラピュタ』(私は、浮くことを恐れないことをラピュタ力として提唱、実践している)風に言うならば「みろ、恵方巻きがゴミのようだ」という光景が広がっていないか。

今朝の毎日新聞は社説で、恵方巻き商法をはじめ、コンビニのあり方について批判的に論じている。

社説:恵方巻き商法 コンビニ戦略のひずみ – 毎日新聞

いいぞ、いいぞ。

Twitterでフォロワーの方に教えて頂いたのだが、恵方巻きはもともと大阪で(関西全体というわけではない)、家庭でつつましくつくるものだったという。それがデパ地下でも販売するような一大ビジネスに仕立て上げた力はスゴイが、何かこう人を不幸にする商売になっており、恵方巻きも悲しんでいるのではないかと思ったりもする。ジンギスカンブーム、サッポロラーメンブーム、スープカレーブームなどで故郷札幌の文化がビジネス化され、消費された時のことを思い出した。

このまま、恵方巻きを食べないまま人生を終わることになりそうだ。それで何も困らない。私は錆びつくよりも、燃え尽きたいだけだ。コンビニ各社に恵方巻きをめぐるスタンスを問い糾したい。文化を消費し、労働者を苦しめる産業を許してはならないのだ。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年2月4日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた常見氏に心より感謝申し上げます。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。