大学スポーツのあるべき姿とは?

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NYtimesより引用(編集部)

日本では政府肝いりで大学スポーツのビジネス化が推進されています。日本が参考にしているのが米国のNCAAですが、実は今このNCAAのビジネスモデルが大きな過渡期を迎えています。

このブログや日経ビジネスのコラムでも何度か触れていますが、昨年はオバンノン訴訟が結審し(最高裁が不審理を決定)、NCAAのアマチュア規定(学生の本文は勉学であり、それ故プレーの対価としての報酬の支払いを禁じる規定)が司法審査により違法であることが確定した年になりました。また、つい先日NLRBの法務顧問が私立大学フットボール部の学生選手の労働者性を認める文書を公表し、大学スポーツ界に波紋が広がっています。

現在、米国の大学スポーツでは学生にプレーの対価を支払うことが前提となるモデルへの転換が求められています。今後は、「学生に報酬を支払ってまで大学がスポーツをやる意味(教育的価値)が本当にあるのか?」という点が問われていくことになるはずです。

それに関して、最近面白い動きがありました。今年スーパーボウル進出を決めたニューイングランド・ペイトリオッツのエースQB=トム・ブレイディ選手の代理人としても知られるDon Yee氏が、2018年から大学スポーツと競合するプロリーグ=Pacific Pro Footballを設立すると発表したのです。

新リーグは18歳から22歳までの若手選手を対象にした育成リーグで、とりあえずCA州に4チームを設立して年6試合の公式戦を行う構想のようです。各チームのロースターは50名で、MLSのようにシングルエンティティで選手はリーグと契約を結び、各チームにアサインされるようです(つまり、ドラフトはない)。プロリーグですから、もちろん報酬もあり、平均年俸は5万ドル程度になるとのこと。試合会場は、CA州の大学施設を借りる予定だそうです。

リーグの位置づけとしては、大学でプレーできなかった選手がNFLに挑戦するための登竜門になるレベルを想定しているとのことです。まあ、いきなりNCAAにガチンコで競合するのは難しでしょうが、長期的に見た場合、非常に面白いValue Propositionだと思います。

というのは、現在米国の大学スポーツで儲かっているのはフットボールと男子バスケだけですが、これはプロ側に年齢制限があって(NFLでは高卒後2年、NBAは1年経たないとプロ入りできない)、高卒で即プロに行くことができないためです。そのため、トップ選手の中には本当は行きたくもないのに仕方なく大学でプレーして、年齢制限をクリアしたら大学を中退してプロ入りする選手が少なくありません。

当然大学側もこの不健全な状況を面白くは思っておらず、「勉強する気のない学生は大学に来てもらわなくてもいい」「こうした不健全な状況を生み出しているのはプロ側が設置した年齢制限が原因」という立場を取っています。実際は、年齢制限があるから大学スポーツの利権が守られていると見ることもできるわけですが、教育機関としては建前であってもこう言うしかないわけですよね。

そこにできたのがPacProです。すぐに大学スポーツと比肩するレベルで設備やコーチングスタッフなどを揃えるのは難しいでしょうが、仮にNCAAと同等レベルに成長してきた場合、高校トップ選手の中には、報酬が限定され、やる気もない勉強を強いられる大学に行かずにPacProを選ぶようになる選手も出てくるでしょう。

前述したように、PacProは平均5万ドルの報酬を考えているようです。現在NCAAで受け取ることができる奨学金などの対価は5000ドル前後と言われていますから、金銭的リターンを考えるだけなら、PacProの方が断然いいわけです。もちろん、アマチュア規定が違法となった今、学生への報酬が支払われる方向に向かうのですが、そうはいってもいきなり数万ドル単位で報酬が跳ね上がるとも思えません。

このような選択肢ができると、学生選手のスタンスは二分化していくかもしれません。本気でプロを目指すトップアマは、大学に行かずにPacPro経由でNFLを目指すようになるでしょう。それより下のレベル(プロになれるか微妙なレベル)の選手は、学位も取って将来に備えたいと思うでしょうから大学に行くでしょう。そして、大学が教育機関としての使命にこだわるのであれば、これが健全な姿です。

もしこの動きが本格化してくると、NCAAのプレーレベルは下がり、育成プロリーグに有望な人材が集まり、現在のNCAAのポジションに取って代わるようになるかもしれません。こうなると、大学機関の中でもNCAAを離脱してセミプロ化しPacProに乗り入れる大学(特にパワー5カンファレンス)と、文武両道にこだわるものに分かれて行くかもしれません。まあ、10年20年というスパンの話ですが、今このマーケットがぽっかり空いているのです。

この問題の本質は、スポーツがビジネス化すると勝利至上主義に陥りやすくなる。そして、勝利至上主義と教育には利害相反が起こりやすいということです。「勝てばいい」という組織文化が行き過ぎると、リクルーティング活動に売春婦をあてがったり、学術不正が行われたり、金品が密かに贈られたるなどの教育的価値と相反する不祥事が横行するようになります(今のNCAAがまさにこれです)。また、経営不振に陥った大学が不人気競技の運動部を廃止するという話もNCAAでは珍しくありません。

米国から学ぶことがあるとすれば、大学スポーツのビジネス化を目指す日本の教育機関は「学生選手に報酬を支払う用意があるのか?」という問いにいつか答えなければならなくなる日が来るかもしれないということです。米国のように学生から訴訟を起こされる可能性も否定できません。そして、ビジネスと教育のジレンマの中で、教育機関としての存在意義をどう保つのかが問われることになるでしょう。ビジネス化に成功して大きなお金が動くようになれば、この議論は避けて通れません。


編集部より:この記事は、ニューヨーク在住のスポーツマーケティングコンサルタント、鈴木友也氏のブログ「スポーツビジネス from NY」2017年2月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はスポーツビジネス from NYをご覧ください。