きのうの言論アリーナでは、東芝と東電の問題について竹内純子さんと宇佐見典也さんに話を聞いたが、議論がわかれたのは東電の処理だった。これから30年かけて21.5兆円の「賠償・廃炉・除染」費用を東電(と他の電力)が負担する枠組は可能なのか。そして望ましいのか。
最大の問題は、この金額の算出根拠がはっきりしないことだ。たとえば「廃炉」費用の8兆円は、「デブリ」をすべて除去してどこかへ持って行くことになっているが、格納容器の中に飛散した核燃料をどうやって取り出すのか。格納容器の中に作業員が入ることはきわめて危険であり、そもそも取り出す必要がない。「石棺」で埋めればいいのだ。
「除染」も意味がない。盛り土をすればいいのに、表土を削り取ってどこかに持って行く無意味な作業に8兆円かける。その唯一の根拠は「汚染水」などと同じく「地元感情」である。このような安心対策は地元の負担でやるならかまわないが、国や東電が負担すると、地元が際限なく「ゼロリスク」を求める。
だからまずやるべきことは、この莫大な費用を精査して、本当に必要なコストに限って計上することだ。廃炉はまだ調査費だけでいいし、除染も基準を見直すべきだ。こうした費用を総合して考えれば、国民負担は半減できよう。
民進党は「2030年に原発ゼロ」などといっているが、電力会社は原発を新規立地する気がないので、原発は減っていく。直接コストだけをみると石炭火力が安く、面倒な政治的リスクもないからだ。しかしそれで電気代が何倍も上がったら、日本経済はどうなるのか。
こういう問題は、炭素税のような形で社会的コストを内部化する必要がある。炭素税を日本だけで実施するのは製造業の国際競争力に悪影響を与えるが、税の形で負担を明示することが大事だ。そうしないと社会保障のように、ゼロリスクのコストを将来世代が負担することになる。
東芝については、原子力部門の巨額の損失の最大の原因は3・11のあとNRCが3年も原発の建設工事を止めたことで、その損害をすべて東芝が負担する契約になっていた疑いが強い。これはほとんどサンクコストで、原子炉AP1000の技術には将来性がある。東芝は半導体部門を売却して、原子炉メーカーとしてやっていくしかないだろう。
ここで問題になるのは、国がどこまで関与するかである。東芝が半導体部門を売却して外国系原子炉メーカーになるとすれば、産業革新機構の資金を投入することはむずかしい。国の救済を前提にすると革新機構が半導体部門を買収するしかないが、一時的には外資系ファンドに売却することも選択肢だろう。
東電の場合は国が救済するしかないが、その国民負担を明確化するには曖昧な「支援機構」をやめ、第2東電(BAD東電)を分社化して国有化するしかない。ここでどう債権放棄するかが問題で、竹内さんもいうように事故後に国が債務保証した銀行融資を踏み倒すことはできない。宇佐美さんのいうように、支援機構を第2東電にするしかないだろう。
このとき最大の問題は、第2東電を完全分離して福島の処理だけの会社にすると、社員の士気がもたないことだ。これを回避するには、原子力部門全体を第2東電にして国有化し、柏崎原発の利益を福島の廃炉にあてることも一案だ(経産省も検討しているようだ)。いずれにせよ内閣が指導力を発揮しないと、ゼロリスクのコスト負担はさらに膨張してエネルギー産業は泥沼にはまり、日本経済は衰退してゆくだろう。